座右の銘

人生とは今日一日のことである

なぜこの仕事をするか

まずは人間が生きる上で必要な「地球」の社会問題に対して、身近な服を通して大量生産大量消費の価値観を変えたい。

わたしの履歴書

1978年3月、青森県で産まれました。その後、岩手県久慈市(朝ドラ“あまちゃん”の舞台)で中学3年まで過ごすことになります。 当時は母子家庭で育ち、一人っ子だったこともあり、人と関わることがとても怖く臆病でした。(母以外の大人と関わるとなったらすぐ腹痛というサイクル) その後、親の再婚で福岡県北九州市に移り住むことになります。 慣れない土地、言葉、ゴキブリ(初見でした!)など、人見知りのプロといっても過言ではない私にはただただ修行の毎日・・・。 運の良いことにそこで今の親友たちと出会うことになり、当時はバブル全盛期。テレビに映る日本は華やかで、高校生の私にとっては大人になることが楽しみで仕方なかったです。 音楽が好きで「雑誌編集者になる!」と決意し、開校したばかりの福岡市の専門学校へ入学しました。北九州から福岡への通学は勉学と両立するには難しく、2年の頃に初めての福岡でひとり暮らしをさせてもらうことになります。 しかし、バイトにふけってしまい肝心な勉学とも離れてしまい、本末転倒な時期でした。 あの頃の私を叱り飛ばしたい・・・ 無事卒業はできたものの、同時に最愛の母が病気になります。そこから北九州に戻り、母の看病。ある日、病室のテレビで“9.11”のニュースが流れ、その映像を自分の状況そっちのけで心を痛める母を横に改めて母の偉大さを実感しました。 数年後、母は他界します。しばらくは暗黒期に入りますが、親友達の支えもあり、前職のアパレル企業へ就職します。 人見知りがコンプレックスだった私に販売員経験は良い修行場所でした(笑) その中で、「目の前のお客様の為に何ができるだろう」という思いで仕事をするようになりました。僭越ながら私を訪ねてくださるお客様も増え、「私も誰かに何かできているかもしれない」と少しずつ自己肯定ができるようになってきます。 そんな中、さらに追い打ちでやっと家族になれた義父が他界します。 20代のうちに両親を亡くした私は、後悔と自己否定と共にしばらく過ごすことになりました。 そこからはただ追い詰めるように仕事、仕事、仕事。仕事以外考える隙がないように休みの日も仕事です。 やっと心も少し落ち着いた頃、“東日本大震災”のニュースが流れます。この時、病室で母と見た情景がフィードバックし、自身の「存在意義」について考えるようになりました。 あの時何もできなかった自分に、そしてただの販売員にいったい何ができるだろう・・・ 「家族」がいなくなった私にとって、違う状況であれ、同じような思いをする人がいるなら力になりたい。そう思うようになりました。 そして、“熊本地震”が起こります。被害があった地域には親友家族もいて、安否確認がとれたものの気が気ではありませんでした。 仕事のポジション上、ボランティアに行くことも難しく、少額ですが「寄付」という行動を起こしました。これは小さなことかもしれませんが、私にとっては大きな一歩になります。 徐々に膨らんでいった「私に何ができるか」というくすぶりは少しずつ行動へと導かれました。偶然にもお誘いがあり、“POST&POST”“ソーシャルビジネス”に出会ったことで「私にも何かできるかもしれない」と転職を決めました。 この事業を通して、私ができる地球への恩返しをしていきます!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。