座右の銘
Be the change you want to see in the world.
なぜこの仕事をするか
ソーシャルビジネスを世界に広め、ソーシャルビジネスに関わる人を増やし、すべての人が助け合う社会をつくるため。
わたしの履歴書
1992年生まれ。三姉妹の長女として生まれ、高校時代まで大分県で育つ。
幼い頃から年下の子の面倒を見るのが好きで、物心ついた時から保育士になりたいと思っていた。
進路を真剣に考え始めた高校時代からは「子どもたちの夢の実現を後押しできる人になりたい」と教師を目指すようになり、高知大学教育学部に進学する。
大学生活を満喫していた大学2年生のある日、友人とせっかくの夏休みに何かしようと話し、NPO法人が主催する海外ボランティアに申し込む。
「将来日本の子どもたちに海外の子どもたちがどんな生活しているかを教えたい」という軽い気持ちで参加し、人生初のフィリピンに渡航。
そのフィリピンのマーケットでストリートチルドレンと呼ばれる子どもたちに物乞いをされ、衝撃を受ける。
世界には教育すら受けられない子どもたちがいる事実を目の当たりにした衝撃と、幼い子どもに「Money」と手を差し出されて何もできなかった悔しさが大きな心残りとなり、もっと世界の現状を知って自分にできることをしようと、他の海外ボランディに2度参加。
その後もっと同世代の学生にこの現状を知ってほしいという想いで、NPO法人の広報活動にも積極的に参加する中で、ストリートチルドレンが存在する根本の解決になっていないのではないかと疑問を持つようになる。
その後、現地の同世代の青年はその問題についてどう思っているのかを知りたいという思いと、彼らと行動を起こしたほうが問題解決への近道になるのではないかという考えから、1年休学して内閣府が主催する「東南アジア青年の船」事業に参加。このプログラム参加を通して、まだ世界には自分が知らない世界や問題が数多くあること、そして自分は無知で未熟であることを痛感する。
これを機に卒業後すぐに教師の道に進むことをやめ、社会問題の解決を仕事にすることを決意。情報収集をする中で、NPOはインパクトが小さく根本の解決に繋がりにくく、国際機関は実現までに時間がかかることなどに疑問を感じるようになる。
そんな中、知人にボーダレス・ジャパンを紹介され「最速で社会問題を解決する」という考えに共感してエントリー。
ビジネスの知識も経験も皆無の中、想いと過去の行動を汲まれ入社が決まる。
入社時は「東南アジアのストリートチルドレンを0にする」という志のもと、ビジネスプランを発表。
当時新卒はまず既存事業で修行を積んでから起業する流れであったため、ビジネスレザーファクトリーに配属される。そこで催事運営や店舗運営、販促などを通して一通りビジネスを学ばせてもらう中で、自分はリーダーとして事業を引っ張ていくよりも、リーダーを支える方がやりがいを感じ、自分の強みも生かせると気づく。
そんな時、ボーダレス・ジャパンが広報に力を入れようとしていたタイミングで声をかけてもらい、ボーダレス・ジャパンへの移籍と起業家コースからスペシャリストコースへの転換を決意。
はじめは「社会起業家の道から逃げるのか」という葛藤もあったが、それでも「同じ目標を持つ仲間は自分以外にたくさんいること、そして彼らの事業加速に自分の強みを生かせれば、結果的に間接的ではあるけれど自分が解決したい社会問題も解決される」と考え、広報のスペシャリストを目指すようになる。
現在は、貧困問題だけでなくすべての社会問題解決を加速させるために、ソーシャルビジネスを世界に広め、ソーシャルビジネスに関わる人を増やすことを志に、ボーダレスグループの認知拡大に取り組む。
ソーシャルビジネスに関わる人を増やしていく素地が出来たら、その時は改めて「子どもたちの夢の実現を後押しする人」として社会に関わっていきたいと思う。子どもたちの夢が「社会起業家になること!」という社会になっていることを夢見て。