座右の銘

進むべきものは時間ではなく自分自身だ。

なぜこの仕事をするか

子供を持つ女性が母親としても、社会の一員としても輝ける社会へ。自分が社会問題解決に関わることで子供達の視野をも広げれる。自分がボーダレスで働くことは身近な家族の幸せから世界中の子供たちのよい未来に繋がると思っています

わたしの履歴書

1987年4月11日生まれ。
福岡県の田舎で3人きょうだいの末っ子として生まれました。
歳の近い姉と兄を持つ私は、姉や兄にできて私にできないことがある訳がない、といつもライバル心を燃やしていました。姉がしていたピアノも自分も早く、早く始めたい。興味のあるものはとにかくやりたい。そのせいで、ピアノ・そろばん・茶道・スイミングと、月曜日〜土曜日まで習い事がびっしりの生活でした。特にピアノのレッスンは先生も怖く、コンクール等のプレッシャーから幾度となく泣いていたにも関わらず、1度始めたことはなかなか辞めさせてくれない厳しい母だった為、逃れる事はできませんでした。しかしその経験によりだいぶ精神と技術を鍛えられました。

そんな中でも、小学生の頃から『作る』ことが好きで、今ではもう作れないような柄入りマフラーを編んだり、テディーベアを作ったりしていました。この頃から将来の夢はデザイナーでした。ですが、両親は口癖のように『あなた達は公立高校に行って国公立大学に行くのよ!』と言っていたので、服飾の道に進みたいというのは密かな夢でした。

姉・兄は大学へ進学、その頃私も高校受験の時期。推薦入試を受けた私は、まさか進学校に『デザイナーになりたいです』なんて言って受かる訳もなく、小論文では『将来は国語の先生になりたいです』という真っ赤な嘘の内容を書き、地元の進学高校に見事合格。
長年ピアノをやっていたこともあり、高校では吹奏楽部に入部。パートはサックス。日々部活に明け暮れながら、自分の将来を本気で考え始めました。

希望進路を毎回書かされる度に自分が本当にしたいことは服の勉強だと確信していきました。もう自分に嘘はつけない!と服飾の道に進みたいという事を親と先生に伝えると、案の定猛反対されました。それからというもの、高校3年間三者面談の度に親・先生と進路について大げんか。教師をやっている従兄弟まで家にやってきて私を説得するという事態。もうみんな嫌い、みんな敵だ。と思っていました 笑
大喧嘩の末、『ちゃんと勉強してセンター試験まで受けるなら服の学校を受けていい』という条件付で許しを得ました。その約束通り、センター試験までちゃんと受け、センター試験が全く不要な服の学校へと進学しました。
そして香蘭女子短期大学被服学科へと進学。門限21時という健全すぎる寮に入りながらも、寮で一生ものの友達ができ、毎日楽しくてたまりませんでした。そしてここで縫う事よりも描く事の方が好きだという事にも気づく事が出来ました。

卒業後は福岡の某アパレル企業にデザイナーとして就職。
ここでは新卒の甘ったれ根性を叩き潰されました。今思い出しても胃がキリキリしそうな数々の体験のおかげで、ちょっとやそっと嫌な事があってもひるまなくなりました。

そしてここでは毎月、生地選びや工場への指示の為中国へ行っていました。私はそこで物乞いをする小さな子どもやお年寄り、街から少し離れるとスラムがあったりなどという経済格差を初めて目の当たりにしました。日本にいたら絶対に目にすることがなかったであろう世界に驚きを隠せませんでした。

そんな日々を4年間過ごし、好きではないテイストの服を作ることに疲れて退社。
その後は友人3人で小さなセレクトショップをOPEN。店の名前やロゴデザイン・店づくり・仕入れまで全て自分たちでやりました。最初はプロモージョンも成功して話題になり、売り上げも絶好調!きゃっほーいっと思っていました。が!!!そんなことも長く続く訳もなく、経営不信で1年で閉店。世の中そんな甘くない。と、自分の無力さをひしひしと感じました。

その後25歳で結婚・出産。出産は間違いなく人生で一番の転機であり、30時間以上続いた陣痛は、完全に私を強くしてくれました。そしてこれまで自分が主役だった人生から誰かの為に生きる人生となりました。それと共に生きているということは、愛する人達とのお別れが日々近づいているということを意識するようになりました。子どもといる一瞬一瞬が愛おしくて勿体ないほどで、心残りは出来るだけ少なく生を全うしたいと思うようになりました。そんな中ボーダーレス・ジャパンに出会いCorvaに参画。子育てをしながらまた自分のやりたい仕事ができる。しかもその仕事は途上国の児童労働をなくす為、子供達の未来を守る為の事業である。こんな素晴らしいことはないと思いました。
第二子出産前までは商品のデザインをさせて頂き、出産後復帰させてもらってからは店舗グラフィックを中心にやらせて頂いております。
子育てをしながら働ける環境に感謝が止まりません。

これからも自分の持てる力を最大限生かして日々成長することを意識し、少しでもバングラデシュの雇用拡大へつながるよう頑張っていきたいと思います。
誰かが生きたかった今日を迎える事ができた自分が一生懸命生き抜く事を忘れずに、日々を過ごしていきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。