座右の銘
何事も改善できる。(良いことは、より良く出来るはずだ。)|Si algo esta bien, podria estar mejor!
なぜこの仕事をするか
個人の幸福と周りの人々の幸福を可能にするために持続可能な社会を作りたいです。そのためにグアテマラ、世界中で起業家精神のプラットフォームを作り、アイデアと努力する全ての人々がその能力を発揮できる機会を提供できると信じています。
わたしの履歴書
4人兄弟の2番目、長男としてグアテマラで生まれました。小さい頃から父親は電気配線や日曜大工、車の修理などを通じて物を大切にすること、そして修理するスキルなどたくさんのことを教えてくれました。
父親は厳格で、仕事熱心で凄く怖かったのを覚えています。1〜2週間仕事で家にいないことも多く、その間はいつも母親の手伝いや弟の面倒を全て私に任せ、更に車の修理、材料を置いていき家具を作っておきなさいと様々な家事を与えられました。インターネットやYOUTUBEなどもない中で、とても苦労しましたが試行錯誤をしながら失敗を繰り返し、父親に怒られないように毎日挑戦していたのを覚えています。そして新しいことを発見したりスキルを身につけたら、いつも弟たちに教えていました。この頃から、自分の知識を誰かに教えるというのことが好きだったように思います。父親からの宿題のおかげで、何もないところから新しいものを作るエンジニアになりたいと強く思うようになり、エンジニアの道に進むことにしました。
大学入学後は、パソコンが初めて各家庭に導入された時でありプログラミングを学びました。大学以外でもマイクロソフトの研修を受けに行ったりパソコンのハードとソフトの勉強をしました。大学で学んだプログラミングの知識を生かして夏休みの間などに隣国のエルサルバトルやホンドゥラス、パナマやコロンビアを行き来しながら中南米で大きく展開するジュエリー店の経理システムも開発しました。その後、アルバイト代を元金にして自分でも腕時計やジュエリーを取り扱うショップを開業。2年間なんとか赤字にはなりませんでしたが、人のマネジメントでつまづき、ショップを売ることになりました。最終的に悔しい経験になりましたが、事業を立ち上げることの楽しさと自分の未熟さを経験できました。この経験より自分の興味の持ったことには、恐れず全力で挑戦することの重要性を認識し、今後も新しいことに挑戦し続けたいと思いました。
その後の残りの大学生活は、3Gや4Gといった新しい電話回線のテクノロジーが全世界で広がっていたこともあり、テレコミュニケーションに興味を持ち、グアテマラ最大のTIGOという会社(日本のSOFTBANKのような会社)でエンジニアとして働き始めました。テレコミュニケーションの専門家として大学卒業後は働き続ける一方、自分で身につけたスキルを元に弟と共にテレコミュニケーションのアウトソーシング会社も設立。従業員を10人程抱えるまでになり同時に大学でも4年間教壇に立ちました。より多くの若者に、年の変わらない自分がロールモデルになり勉強や挑戦することの重要さ、そして自分のスキルを共有するのが楽しく、自分には凄く向いてるなと感じていました。
またサルサダンスが好きなこともあり、サルサバーを開業し2年間軌道に乗せた後、友人に譲りました。
TIGOで働きながら、2つの会社を経営し、大学で教壇に立つ毎日。寝る時間もないほど忙しかったですが毎日自分の好きなことをしていたので凄く充実した日々でした。
その後、今の妻と結婚したことを理由に仕事を全て辞め、日本へ移住しました。そこで妻の勤めていたボーダレスジャパンのことを知りました。ソーシャルビジネスという概念を聞き、衝撃を受けました。今までの自分のしてきたビジネスとは大きく違い、ビジネスを通じてグアテマラの多くの貧困層の人々の生活、そして大学で学ぶ学生の将来を変えることができるのではないかと思いました。
その後、福岡や大阪でフリーランスでテレコミュニケーションの仕事を掛け持ちしましたが、ビジネスで自国グアテマラの人のために事業をしたいという思いを捨てきれず、ボーダレスに入社しました。
2016年家族でグアテマラに戻り、ボーダレスグアテマラを妻と立ち上げました。
マイクロフランチャイズというモデルを開発し、より多くの人を雇用するため日々もがいています。ソーシャルビジネスという概念はまだグアテマラでは多くの人に理解されずNGOやNPOなどと一緒にされることが多いですが、グアテマラでも世界中でも浸透させ、より多くの起業家が多くの社会問題を解決できるよう努めることが自分の使命だと思っています。そのためにボーダレスグループモデルを世界中に広めたいと思います。
Soy el segundo de cuatro hermanos, desde niño mi papa me enseño a hacer muchas cosas con carpinteria, electricidad, mecanica, a reparar cosas. Mi papa viajaba por una hasta dos semanas fuera de la casa por su trabajo, cuando salia me dejaba tareas de la casa a construir un mueble con madera o a reparar un carro, sin acceso a internet o video tutoriales era siempre un juego de prueba y error. luego de aprender enseñaba a mis hermanos menores. Esto me ayudo a decidir que queria estudiar para ser ingeniero y poder crear cosas nuevas, empece la carrera de desarrollo de software en la universidad, al mismo tiempo que tenia un negocio de venta de relojes y joyeria, luego de dos años tuve que vender la joyeria porque no sabia como administrarla, empece a trabajar en una empresa de telecomunicaciones, junto con mi universidad mi mente cambio a estudiar mas el desarrollo de nuevas tecnologias de comunicacion 3G y 4G, me especialice mas en este campo y luego de terminar la universidad fui profesor para mi universidad durante cuatro años y tambien empece una empresa de telecomunicaciones junto con mi hermano menor, ademas de un Bar de Salsa en el centro de mi ciudad, por lo que en ese tiempo tenia tres trabajos. Visite japon por primera vez en 2014, me case con una hermosa Japonesa y decidi vender todas mis cosas en guatemala para vivir en japon, trabaje como Dj de salsa en algunos bares en fukuoka y conoci a borderless japon estuve como part time job en BLF y luego nos movimos a osaka donde trabaje como freelance de telecomunicaciones y en una fabrica, luego tuve la oportunidad de trabajar en Borderless nuevamente para empezar un proyecto en guatemala.