座右の銘
いまよりもいい社会を未来世代に。
諸行無常。
なぜこの仕事をするか
「どんな境遇だったとしても未来に希望を持てる。世界で一番働きたい会社をつくる。」という夢の実現に向け、創業したのが26歳のとき。今では、そんな会社をたくさん生み出すことで、社会を変えていけると確信しています。社会起業家が、自立自走しつつも社会哲学やリソースを提供・共有することで、新たな社会起業家を育て、互いのインパクトを最大化する。ボーダレスが培ってきた新たな社会を共創するエコシステムを、発展させ、世界中に拡げていくことで、社会を変える原動力になっていきます。
わたしの履歴書
1979年7月生まれ。9歳下の弟と二人兄弟の長男。
幼少期は厳しい父母に育てられ、本当によく怒られていました。 4歳くらいだったか、父の逆鱗に触れる何かをしでかしたらしく、車に乗せられ気づいたときは山の中。
真っ暗闇に一人車から降ろされ、そのまま遠のいていく赤いテールランプ。その後の人生で、この時以上の恐怖を味わったことは、一度もありません。たぶん、これからも。
「玖珂小学校」5年生の時、恩師の河内先生との出会いは、今の僕の考え方に大きく影響を与えています。クラスに少し知恵遅れの同級生がいて、彼のことをからかっていた時、先生に呼び出されて真剣に言われた一言。「皆同じ人間。お前とあいつと何がそんなに違うのか言ってみろ」。何も答えられず、自分の浅はかさにただただ涙したことを覚えています。
もう一つ小学校時代で思い出深いのは、戦争に関する作文を書いた時のこと。母にいろいろと話を聞いたら、僕の母方の曾祖父母はヒロシマの原爆で亡くなったということを知らされ、会ったこともない曾祖父母ですが、非常に大きなショックを受けました。それ以来、僕は戦争反対、核兵器反対、そして原発も反対です。
地元の中学校は全員ボーズ頭。それに最大級の拒絶反応を示し、わざわざ受験して「高水中学校」へ。子をもつ親となった今では、我が子にボーズを提案し、やはり猛反発されます。何も言えない。。。
入学後、一方的に聞かされる授業が苦手で、授業中は本当によく寝ていました。そのおかげで、二年間で人並みに背が伸びました。もちろん、先生には「やる気がないなら帰れ!」と怒られます。それに乗じて「帰ります!」と教室を抜け出し、屋上で時間を潰していました。
その後、父の転勤で千葉県柏市に引越し、高校は「芝浦工業大学柏高等学校」に進学。高校二年の時に書いた未来の自分への手紙には、「会社を経営する」と宣言。なぜ、高校二年の時点でこのように書いたかは、全く覚えていません。
「横浜国立大学」に入学後、2年次以外は学校にはろくに行かず、アメリカ人の友人と一緒に音楽活動に没頭したり、塾講師のアルバイトに没頭する毎日を過ごしていました。ちなみに、2年の時だけは、学ぶ一年にしようと学びに没頭。その時に学んだ人権論や進化生物学が、現在の礎となっています。
そんなある日、新たな塾に移籍。そこで目の当たりにしたのが、社員やアルバイトの講師たちに、熱意ややる気がないこと。その時に、大きな疑問を頂きました。
「なぜ、働くことがこんなにも楽しいものなのに、一生懸命になれない人がこれほどたくさんいるのか」。 そんな視点で世の中を見回すと、疲れ切ったつまらなそうな人ばかり。一方で、シングルマザーや障害のある人たちは、働きたくても働けない人がたくさんいることも、知りました。
人生で多くの時間を費やす「働く」ことに、一生懸命になれない、つまらないというのは、悲しすぎる。一方で、働きたくても働けない人たちの状況も変えていかなければいけない。そう思った僕は、「どんな境遇だったとしても、未来を描いていける。世界で一番働きたい会社」を自分の手でつくろう、その方法を世界中の企業に広めよう」と決めました。
その方法を見出す第一歩として、小さな塾を友人と立ち上げ、大学院にも通いモチベーションを研究しました。しかし、スタートした塾は、会社というレベルには到底届かない個人運営止まり。また、大学院でも机上の空論を振りかざす日々。そんなレベルでは「世界で一番働きたい会社をつくる」なんて夢のまた夢だと痛感しました。
この失敗の中で、たくさんの仲間と一緒に働ける「大きな企業」をつくらなければダメだ、また、明確な目的なしに事業を運営するのは絶対にうまくいかないと確信。実践の中で事業づくりを学べる会社に入ろうと考え、「株式会社ミスミ」に就職しました。
二次面接が一緒だった社長の田口に内定者懇親会で再会し、その後、徹夜でそれぞれの志を語り合い、意気投合した僕らは、共に会社をやると決めました。田口の熱い志と人間的魅力に、「一緒にやったら、本当に世界を変えられるかもしれない」と思った瞬間でした。
ミスミでは、配属2日目から新規サービス開発を任され、本当にたくさんの経験をさせてもらったことに、感謝しています。また、ヨッシー、作ちゃん、李ちゃんという素晴らしい同期にも出会い、今では彼らも共にボーダレス・ジャパンで切磋琢磨しています。
2年半でミスミを辞め、先にスタートしていた田口に合流。その後、何度も大きな壁にぶつかりながらも本当にかけがえのない仲間たちと共にそれらを乗り越えることができました。
そして今、"世界で一番働きたい会社"をたくさん生み出す仕組みづくりが、確実に前進していると実感しています。これからも、人々がパートナー関係で互いを理解し、認め、活かし合い、助け合う、"ソーシャルビジネス"という新たなビジネスのあり方が社会を変えていく。そのために、たくさんの"社会起業家"を生み出し、世界中へと拡げていきたいと思います。
「非効率をも含めて社会を再構築するビジネス=ソーシャルビジネス」
ビジネスは、人々を幸せするための仕組みです。しかし、効率を追いかけ、目の前の数字やルールに重きを置くようになってしまった結果、たくさんの社会課題を生み出し、置き去りにしています。
地球や人という、本来大切にすべきものを中心に据えることで、これまでのビジネスでは対応できなかった人々や状況を"巻き込み"、"ソーシャルビジネス"を共につくり上げていく。そのあり方そのものが、私たちが未来へと引き継いでいくバトンなんだと思います。
「いまよりもいい社会を未来世代に」
未来世代のために今、私たちがやるべきことは、"本当に大切なものは何か"を問い、ビジネスのあり方を変え、新たな社会つくり出すことだと思います。
ONLINE記事
2019.10 日本経済新聞
世界の社会課題を解消 「恩送り」で事業拡大
2019.10 日本経済新聞
羽ばたけ社会起業家の卵 課題解決のアカデミー
2019.10 AMBI
日本発「社会起業家プラットフォーム」を創造。ボーダレス・ジャパンの挑戦
2019.07 Rashii
社会課題を解決しながら、いかにビジネスとしてしっかり儲けているのか。
2019.07 月刊事業構想
社会起業家のプラットフォーム SDGsを達成する事業の創出法
2019.05 TACHIAGE
世界の貧困を減らし働き方を変える。
2019.03 GEOC リレートーク
心の底からほとばしる情熱でビジョンを語れるか
2017.03 lifehacker
社会問題解決のために利益を追求する企業が語る「ソーシャルビジネスの未来」