座右の銘

克己

なぜこの仕事をするか

様々な理由で心が貧しくなっている人達に対して、可能性を発揮できる場を創るため。

わたしの履歴書

1992年11月生まれ。長野県長野市出身。
生まれ育った場所が四方八方山に囲まれたのどかな田舎だったので、近所の友達と田んぼやりんご畑、裏山で泥だらけになりながら幼少期を過ごしました。

小学校では、地元クラブで剣道に熱中しました。
小学3年生の時に初めて同学年の中で一位になります。しかし、小学4年の時に首に腫瘍ができる病気になって1ヶ月間入院、その後の大会で同期にボコボコに負けて最下位になり、「もう剣道は辞める!」とすごく落ち込みました。
結局剣道を辞めることは親が許してくれず(笑)、泣く泣く練習に行きました。練習では厳しい先生がいて毎回泣きながら稽古をしていました。その稽古が実を結んだのか、小学6年の時に県内でハイレベルとされる長野市で団体優勝、剣道クラブの主将を務めていました。

中学校では、そのまま地元の中学校に進学。運良く剣道の指導経験豊富な先生が赴任して来て、もちろん剣道部に入部しました。
目標は全国大会出場!
中学1年からレギュラーとして県外遠征、大会に出場していました。同期からは羨ましがられていたかもしれません。しかし、僕の精神状態は崩壊寸前でした。出られない先輩の分も勝たなくてはいけないプレッシャー、そして負けると顧問の先生から殴られたり、蹴られたりする恐怖があったからです。
そして中学1年の秋から学校に行けなくなりました。原因はストレスによって血圧の調整ができなくなる自律神経の病気を発症してしまったからです。約1年半学校はほとんど欠席、行けたとしても調子の良くなる夕方以降からでした。しかし、当時の僕は「どうしても剣道で全国大会に出たい!」と思っていたので、自分にできる範囲で努力をコツコツしていました。その結果、主要な大会には出場できるまでに回復してきました。
それでも顧問の先生から、大会で結果が出なければ、他校の生徒が見ている前で殴るなど苦しいことはたくさんありました。それでも剣道部を辞めなかったのは親や担任の先生、剣道部の同期など支えてくれる人達がいたからでした。
そして、中学最後の大会、結果は個人戦初戦敗退、団体戦は自分が負けたことで全国大会出場校に僅差で破れて引退することになりました。 努力しても結果が出なかったこと、自分のせいでチームが負けたことをトラウマのようにその後、引きずることになります。

高校、大学では、何か達成しても、中学の時の記憶を思い出し、「自分のことを心から認める」ことができなくなっていました。

しかし、大学院1年の時に大きな心の転機が訪れました。それは、英語を勉強するために行ったフィリピンでの現地の方との出会いでした。日本に比べて衛生状態や生活環境が圧倒的に悪いにもかかわらず、家族が一緒にいるだけで心から幸せを感じている人がたくさんいました。
「幸せを感じる基準がこんなに違うのか…」
当時の僕は中学時代の剣道部で全国大会に行くことだけが唯一自分が幸せになれる方法だと思っていました。だからこそ、フィリピン人の価値観の違いに衝撃を受けました。

そして、現地でホームステイをさせてもらった家族が僕のことを本当の家族のように接してくれたこと、フィリピンの価値観を受け入れていく中で、中学時代の剣道部の出来事に固執しなくていいんだ、自分のことを無条件に認めていいんだと思えるようになりました。

このフィリピン滞在が終わった後、中学時代の辛い経験を逆に強みにしてやろう!と思い、その経験を活かして、日本の貧困家庭の子どもに学習支援したり、不登校・中退者向けの塾で働いたり、日本にいるホームレス、難民、移民、被災地の方、そして様々な領域の障害者と会いに行きました。

更に大学院2年の夏に友人と一緒に子どもの自殺を防止する活動を行いました。
統計上、「夏休み明けに子どもの自殺者数が急激に増加する現象」があり、これに対して子どもの親をターゲットにした広報動画、不登校・発達障害だった方やその子どもがいる親御さんのインタビュー動画を作製、配信しました。
僕自身も自殺を考えた苦しい時期、友人の自殺未遂に立ち会った経験がありました。
しかし、この活動をするまでは自殺者数という数字だけを見ていて、その数字の背景にある当事者の強烈な生死の葛藤までは考えていなかったことに気づきました。

この活動をきっかけに、世の中にはいろんな社会問題がある、その社会問題の中で共通した最も辛い自己決断が自殺なのではないかと考えるようになりました。
一方で、どんな人であっても、その人にあったサポートを長期間続けることができれば状況は必ず好転できることを今までの活動で体感してきました。
そして上述の志を描きました。

大学院卒業後、この志を実現するための手段を手に入れたいと思い、コンサルティング会社に飛び込みました。しかし、社風に馴染めなかったこと、志を考える余裕を無くす業務量だったのもあり、自分の中で志に対する情熱が薄らいでいくのを感じました。
この情熱が無くなったら一生後悔すると思い、会社を潔く辞める決断をしました。

そして、大学院時代にフィリピンで一緒に働いた友人である井関真大からボーダレスと出会う縁を頂き、JOGGOで働くことになりました。
現時点では志を達成するための手段を持っていません。
しかし、10年後には志を達成できる男になるためにJOGGOで目の前の業務に対して愚直に取り組んでいきます!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。