座右の銘

人生わがままではなく欲張りに。

なぜこの仕事をするか

生まれた場所や本人の意思と関係なくおかれた状況で、選択肢を一つでも増やしてあげたいから。

わたしの履歴書

地元のファッションの専門学校を卒業し、福岡のアパレル婦人服メーカーにて5年間企画として、デザイン・パターン・生産管理・工場出し・検品と一連の製造の流れに携わっていました。そのなかで無茶な生産受注スタイルや在庫問題に疑問を抱き始めたこと、社内での部署異動打診、20代での目標であった語学留学が実現できそうにないことなど、本当にいろいろな出来事が重なり、人生で一番落ち込んだ日々を経験しました。しかし、その期間は3日も続かず、いまの自分が出来ること、したいことを考えて動き出しました。会社の先輩に青年海外協力隊の服飾隊員の方がいらっしゃったことも大きく影響して、協力隊試験に応募をすることに。
その時に会社にも辞める意思があることを伝え、後戻りが出来ない状態に。そこから怒涛の説明会に書類審査に試験、二次では面接に制作物の提出。覚悟を決めたからなのか、なんの自信なのか、落ちる気が全くしなかった選考試験。
無事に夏に合格通知を受け取り、中東のヨルダンに配属が決まりました。

最初はヨルダンってどこ?中東?イスラム教?アルコールと肌の露出禁止は問題ないけれど、豚肉禁止がつらい…くらいの認識でした。
実際に赴任してみると、慣れないアラビア語にアジア人差別、天気予報が砂埃、街を歩けば絡まれなかった試しがない、なかなかインパクトのあるヨルダン生活が待っていました。しかし、勤務先の職業訓練校職員たちの親切さ、かわいい生徒たち、おいしいアラブの食事に救われながら、ヨルダン人の女生徒へ服作りを教える毎日に同僚と奔走していました。
任期も半分を超えたころ、私が活動している職業訓練校にシリア難民の女生徒が入学してきました。それまでに私が接してきたのは、ヨルダン人やパレスチナ人が殆どで、パレスチナ難民キャンプで活動している隊員たちとは違い、難民という立場にある人と関わること自体が初めてでした。

勉強熱心でチャーミングで、すぐに仲良くなった私たち。
作業の合間や帰りの時間に、シリア難民への差別やヨルダンの難民制度のこと、祖国を出ないといけない辛さなど、いろいろと話しをしました。
また、休みの日にはキャンプ外で暮らしている学校近くの彼女の家へ招待してくれて、あたたかく優しいお母さんに、5人のかわいい妹たちを紹介してくれました。美味しいお料理をご馳走になり、楽しい団欒のひと時、持ちきれないほどのお土産を持たせてくれた家族。お父さんとお兄さんは湾岸諸国で働いていて、一緒に暮らせず不安も多い中、どうしてこんなに人に優しく、明るくあれるのだろうと感銘を受けました。
彼女の学生生活が終わるころ、彼女が私に言ってくれた言葉。
「最初は縫製が嫌いだったけど、あなたが熱心に教えてくれるから好きになったの。私がいつかシリアに戻れたら、外に働きに出ることは無理だけど、自分の家でお直しのお店を開きたい。だから、そのお店に会いに来てね。ダラアで再会するの、約束よ」 彼女は私に新しい夢までも与えてくれました。国際協力に特別興味があったわけでもなく、詳しかったわけでもない私に考えるきっかけをくれたのは、間違いなくこの女生徒のおかげです。

帰国後、人にモノづくりを教える楽しさと協力隊の種まきがしたいと考え、ファッションの専門学校で働くことに。
6年間学校で働くなかで世界的にコロナウイルスが大流行し、自分の人生をもう一度考えるようになりました。そんな時にサンモニから生産管理と品質管理で求人が出ていることに気づき、すぐにエントリー。自分がしてきたことと、出来ること、これらが一本につながるような気がしました。
生まれた場所や本人の意思と関係なくおかれた状況での選択肢を一つでも増やしてあげたいという思いと、自分が海外でしてもらった恩返しのために、志が同じ仲間と一緒により良い社会を作っていきたいです。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。