座右の銘
人生一回
なぜこの仕事をするか
知らないのに嫌いになるのはもったいない。 触れてないのに否定するのはもったいない。 知ること出会うことできっともっと人生は広がる。 それをボーダレスハウスは叶えることができるから。
わたしの履歴書
1986年宮城県仙台市に在日韓国人三世として生まれました。
見た目も話す言葉も皆と一緒なのに「名前」が皆と違う、この違和感は幼少期から感じていました。小学校の入学式で皆の前で大きな声で名前を呼ばれるのが嫌で入学式に行くのを拒みました。人と違うことが本当に嫌でした。(卒業式の時は「り」ではなく「りー」とのばして欲しいとお願いしました)
幼少期から母には「あなたと全く同じ能力の日本人がいたらあなたはその時点で既に負けている」と言われ続け、当時はその意味をはき違えて敵を作ることが多かったです。
この言葉は今でも鮮明に残っています。
兄達の影響で小学校からバスケットボールを始め現在も続けています。中学生になりスケボーとHIPHOPに出会い、部活してスケボーしてHIPHOP聴いての毎日でした。地元の友達が決死の覚悟で兄(ラッパー)の部屋からくすねてきたRHYMESTERのLiveビデオに衝撃を受け中学3年生の文化祭で初めてラップをしました。HIPHOPに出会ったことで「人と違うことがカッコいい。オリジナリティを出すことが重要。」ということに気づき「在日韓国人」を武器と捉えることが出来ました。このビデオは借パクしました。そこからはHIPHOPにどっぷりハマり、自分を誇ることができ、仲間の輪が広がり本当に最高の時間を過ごしました。
就職で上京した翌年の2011年3月11日14時46分に東日本大震災がありました。
家族、地元の仲間が大変なおもいをしている中、東京にいる自分に歯がゆさを感じ当時の会社内で物資を集め深夜高速バスで仙台に向かいました。「もしかしたら自分も死んでいたかもしれない。その時何を後悔するだろう。」と深く考え「韓国人として韓国に住んだことがない(韓国での生活を知らない)」「韓国語を喋れない」ということが浮かびました。
お金を貯め、勤めていた会社を辞め、2012年に単身韓国に行きました。最初は学校に通いその後は韓国現地で前職に復帰しました。学校では同じ在日韓国人やロシアやブラジル、中国などの沢山の国の友達とも出会いました。きっと日本で生活していたら中々出会わない人達でした。そして本当に沢山の韓国人の方に助けていただきました。
そこで感じたことは「日本人でも好きな人も嫌いな人もいる。韓国人でも好きな人も嫌いな人もいる。人は人だ。」ということでした。
そして「日本にいたら日本人じゃない。韓国にいたら韓国人じゃない。」という事も感じました。私自身は気にしてませんが。
これは私の人生に大きな大きな影響を与えました。そして本当に素晴らしいことだったと自信を持って言えます。
ボーダレスハウスでは日本に居ながらこの経験ができます。
その想いを胸にボーダレスハウス事業と理念を広げていきたいと思います。