座右の銘

なんとかなるじゃなく、なんとかする

なぜこの仕事をするか

志高く、ただひたすらに目の前の課題解決と社会貢献に向けて頑張るボーダレスグループの事業と人の魅力を誰にでもわかりやすく伝え、共感してくれる人を増やしていきたいです。

わたしの履歴書

生まれも育ちも福岡県の私。豚骨の匂いが染み付いていそうですが、豚骨ラーメンは胃もたれするので苦手です。

私には、忍耐力がありません。この性質は、生まれてくる時から始まっていたようです。母の産道の途中で心音が弱まり、トイレのスッポンのような医療器具の力を借りなければ、もしかしたら今この履歴書を書いていなかったかもしれません。

小学生時代はバレーボールに打ち込んでいたこともありますが、中学時代は陸上部に入部したかと思えば1年で退部。高校時代もソフトボール部に入部し、1年で退部。ネット環境完備の自宅を拠点に、忍耐を必要とされないぬるま湯帰宅部生活を満喫しながら、ぬるっと大学に進学。

進んだ大学は、小学校の先生を志す人が集まる教育学系。忍耐力がないくせに、なぜ小学校の先生を志したのかは自分の中の七不思議ですが、当時は「先生になるぞ」と意気込んでいました。でも、はるかに自分より志の高い同級生の存在や教育実習を通して「あ、向いてない」と気づきましたが、時すでに遅し。私大に行かせてもらった負い目もあり「とりあえず先生になってみる」という気持ちで、教員免許を取得し先生になりました。

超なめきった思考で始めた先生の仕事。これが案外やりがいを感じ、1年目はとにかく夢中になって仕事に打ち込みました。しかし2年目、休みなく仕事のことを考えることに疲れてしまったのか体調を崩し、教職を離れる決意を固めました。

そしてここまでお読みいただいた方はご存知のとおり、私は大学時代就活をしてこなかったので、世の中にどんな仕事があるのかなんて知るはずもありません。だから、とりあえず手あたり次第応募し、奇跡的に書類選考が通った会社に面接に出向きました。こんな感じなのでもちろん転職は難航。先生時代にためた貯金を切り崩しながら、半年以上転職活動に費やしました。

そして奇跡が起こります。私に可能性を感じてくれた食品会社の事務として働くことが決まったのです。でも先生をしていたためなのか、金銭(給与)感覚が若干世間とズレており、勤めていくうちに月給に物足りなさを感じはじめ、こっそり副業を始めます。この時始めた副業が、ボーダレス・ジャパンでの仕事につながるライターの仕事でした。

食品会社の事務を辞めた後は、いろんな縁があり、美容EC企業のオウンドメディアの運営をしたり、Yahoo・Facebookなどに載せる広告記事を書いたりする企業を渡り歩きました。そして、もっと自分の書きたいこと・伝えたいことに専念したいという思いからフリーランスに。ジャンルレスにメディアへ記事を寄稿したりして、ライターの道を本格的に歩み始めました。

そしてフリーランスライターをしていた時に、たまたま見つけたのがボーダレスのPRライターのお仕事。社長は忘れているかもしれませんが、本当に社会をなめきった、めちゃくちゃ生意気なことを言ったにもかかわらず、採用がその日に決まりました。「信じていいんですか?」と確認したほど、あっさりと。

ボーダレス・ジャパンに入社してから、想像していたよりもはるかに高い志を持った人たちに囲まれ「え?私、場違いじゃない?大丈夫?」と思ったとかないとか…(笑)

社会問題に真摯に向き合うボーダレス・ジャパンのメンバーを一言で表すなら「かっこいい」です。ライターなのに語彙力低めで申し訳ないのですが、本当にかっこいいのです。そしてそんなかっこいい人たちに囲まれていると、こんな私でも刺激をビシビシ受け取っています。

PRライターの私がボーダレス・ジャパンですべきことはシンプル。「ボーダレス・ジャパンの事業や人をより多くの人に知ってもらうきっかけづくり」だと思っています。そのために、まずはボーダレス・ジャパンの事業と人の一番の理解者となり、魅力を発信していく存在になる予定です。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。