座右の銘
よく学び、よく遊べ。
なぜこの仕事をするか
がんばってる人たちの縁の下の力持ちになりたい
そして「最高の自己満足」を感じたいため。
わたしの履歴書
東京生まれ、東京育ち。
祖父母と両親のもと、一人娘として誕生。
現在は旦那さんと愛しい愚息2名との4人暮らし。
【HORIって】
「細かいことも好き、アーティスティックなことも好き、お笑い好き、飲み会好き、多趣味」な人間です。
中学の頃からイベントの企画などをして友達を喜ばせることが大好きでした。周りの人々が喜ぶのを見てニヤニヤする性格のままオトナになりました。
明治生まれの祖父は英語、ドイツ語に堪能で海外に向けてもとても視野が広く、あわせて祖母も私に「留学しなさい」と再三言っていました。それにも関わらず「飛行機嫌い」「今の生活から脱したくない」という理由で頑なに拒否したこと、これが人生最大の後悔かもしれません。。。
音楽はクラシックからソウルなものまで大好き、楽器はピアノ、ギター、ウクレレ、スポーツはバスケをやってきましたが、RWC2019を機にラグビー(観戦)も大好きに。
そして、フラで髪の先からつま先までALOHAをめぐらせています。
【中学時代まで~今思えばぬるま湯だった】
幼稚園から中学校は私立に通っていました。クラスには全盲の子、精神的な疾患を持った子も複数いましたが、そんな友達と一緒に過ごした時間はとても貴重だったと思っています。
【高校時代~カルチャーショック】
中学まで成績がトップだった私は、「外に出る!」と張り切って都立高校に進学しましたが、いざ入学したら周りは本当に勉強を頑張ってきた精鋭たちばかり、マジメ!そして金銭感覚がまったく違い、そんな中で私は見事なくらい成績は急降下でほぼ最下位となりました。「それまでは所詮小さなお山の大将だった」と自覚。
でもそこから何の努力もせず、グレることもなく3年間を過ごし、友達には勉強を教わり、お返しとして「遊ぶこと」を教えていたような気がします。そして高3半ばで「やはり大学に進学したい」と思い一浪しました。
【大学時代~バブルだったんですね、そしてHAWAII】
そのときは全然気づきませんでしたが、大学から社会に出た頃はまさにバブルの真っただ中。フランス文学科に通い、ぎりぎりで単位をとって卒業、よく学んでよく遊んだ4年間でした(特に後者)。
大学1年の時に(頑張って飛行機に乗ろうと決意をして)ハワイに住む親せきの家に3週間ほど遊びに行ったのですが、それはとってもとっても大きなことでした。
「私は昔ここに住んでいたような気がする」
人が聞いたら笑いそうなことを真剣に感じたのです(今でも)。
【社会に出て~やはりぬるま湯、バブル体質は抜けていなかった、そして病気になる】
最初についた仕事はレコード会社グループのPV・TVの編集スタジオのデスク。その後、映画配給会社、広告制作会社での経理、教育関係のイベント企画事務、それからいくつかの外資系企業を経て現在に至ります。決して経理が好きだったわけではないのですが、気づいたらずっとやっていました。
その途中、27歳の頃になぜか癌になりました。
それも主人と出会った直後のことで、強靭なメンタルの私もこのときばかりは「周りの支えがあったからこそ」前に進めたと思っています。
幸い経過はよく、その後ふたりの可愛い愚息たちにも恵まれました。
病気になった経験、これは私をかなり成長させてくれました。
【縁の下の力持ちとして、そしてボーダレスとの出逢い】
輸入雑貨卸に関わっていたときのこと、
「仕事もなく、お金もなく、自分の子どもを学校にも行かせられない母親たちの存在」
フィリピンのとある島で会社を営む現地の方からそういう母親たちのことを教えられました。ちょうど愚息たちが保育園に通っている頃だったので、同じ母としてかなりショックを受けました。Br> そしてそんな母親たちのために仕事を与えようと頑張っている現地の方の存在の凄さ。(間接的にも私ができることもあるのでは、と日本で彼女たちの作った商品を販売する手伝いをしていましたが、ほんのささやかなアクションに過ぎませんでした)
その後、外資系企業などを渡り歩き、「人生最後の転職をしたい。最高の自己満足を得るために!」と思って転職を考えた矢先、ひょんなことで出会ったのがボーダレス。前述の母親たちだけではなく世界の多くの方々の問題を解決をしようとしている、そんなボーダレスの各会社に衝撃を覚えました。
ボーダレスの募集記事はキラキラして見えて、それまでに聞いていた他の案件が耳には入らなくなったんです。ほんと、不思議な感覚でした。
そして(若い方が多い中)幸いにも一員として働かせていただくようになったのですが、私の目に間違いはなかったです!
・・・なぜなら様々な問題解決をしようと取り組んでる皆は本当にキラキラしているからです。
そんな仲間たちがきちんと活動できるためにHORIはがんばります。
個人的には創作活動とボーダレスでの経理、「2足のワラジスト」、
これが私のキャッチコピー・・・にしたいのですが。
ボーダレスの仲間に刺激をいただきながら、HORIはまだ現在進行形、そう、がんばります。
人間は「何歳になっても」変われる、と信じてますから。