座右の銘

出会いは成長の種(ケツメイシ)

メッセージ

お金儲けの為のビジネスではなく、社会問題を解決するためのビジネス(ソーシャルビジネス)を行っているところに感銘を受ける。 また、新卒の社員でもヤル気とセンス次第で海外支部を任せるほど、若い子のヤル気を上手く引き出し事業を推進している事にビックリ! Webマーケターとして、みんなが考えたサービスや商品をもっと多くの方へ知っていただけるように各事業のWebサイトや広告を最適化し、収益を得られるように常に改善を図って行きたいと思います。

わたしの履歴書

吉田幸司

1977年3月 福岡県北九州市小倉で吉田家長男として生まれる。

夏になると博多祇園山笠の「オイサー」の掛け声よりも、小倉祇園太鼓の「鐘の音」に心踊らされます。

幼少期は、小倉競馬場の近くに住んでいた事もあり、休日は小倉競馬場内の公園に、平日は駐車場に友達とよく遊びに行ってた。
また、悪いことばかりしていたようで母親と一緒にいろいろな所へ菓子折り持ってよく謝りに行ってた記憶が残ってます。。。
小学校6年生の時に、福間町(今の福津市)への引っ越しを機に良い子へなろうと努力。
中学時代は、近所にあった福岡県立光陵高等学校への進学を目指して勉強に明け暮れる日々となる。

努力の甲斐もあり、光陵高校への進学を決める!(多分この時が一番勉強を頑張った時期)
だが、もともと頭がいい方ではなかったため成績は全校生徒の中でも、「中の下」といったところだった。
(今では県内有数の進学校となった模様)

高校の美術の先生にデザインの才能を見出され、美術系の大学に進学することを決意する!
当時TV番組の「ウゴウゴルーガ」が大好きだったため、CGを専攻したくて神戸芸術工科大学に進学。

大学時代はグラフィックデザイン、映像、彫刻、空間デザイン、フォトグラフィック、コミュニケーションデザイン、
CG、Webデザインなど幅広くデザイン領域の知識を学んだ。大学は関西だったこともあり、
「関西弁以外を話すようなヤツは、海外から来たヤツだ」と言われて関西弁を仕込まれました・・・。
いまでもその名残があり、北九州弁、博多弁、関西弁が混じった【方言ちゃんぽん状態】で変ですが
お気になさらずにいてくれると嬉しいです。

社会人時代は、フリーランスを志して挫折したり、務めていた会社が倒産したり、
詳しくは書けない事が起こったりといろいろな苦難を乗り越え、ボーダレス・ジャパンに出会えました!

世界の常識を変えようと奮闘している若い社会起業家のサポートができるように、ちっさいオッサンは今日も頑張ります!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。