座右の銘

ケ・セラ・セラ

なぜこの仕事をするか

「何よりお客様に喜んでもらいたい!」刻印やギフト・接客等から、自分次第で他の小売業では出来ない部分をより深く提案し、伝えられる環境です。それが社会貢献に繋がるのはBLFならではです。

わたしの履歴書

宮崎生まれ、大阪育ち。

幼き ある日、母親に『何か描いてみ』と言われ ぐるぐるを描いて『タツマキ』と言ってガッカリ される。だが落描きは大好きで、こちょこちょ何かしら描いていた。小学5、6年生の頃では漫画が好きで、しょっちゅう下敷きにキン肉マンや聖闘士星矢を描くことに夢中。
中学生時代は塾に必死。
なんとか高校に進学し、はじめての郵便配達のアルバイトでhideモデルのギターを購入する。(高かったのでペイントなししか買えず)しかし、ギターは3日で挫折。そして、ギターに落描きをはじめる。そこで落描き魂に再び火がつく。ラジカセから電話、原付、、、身のまわりのものに落描きをはじめる。
高校3年。将来を決める大事な時期、美術の結城先生から美大を薦められる。その気になり、両親に相談。あっさり 却下され諦める。そして、何の目的もなく大学に進学。1年半で自主退学。

その頃からファッションに目覚め、販売員としてアパレル業界に足を踏み込む。ヒマを見つけてはPOPと称して落描き。そしてふっと『このままの人生で良いのか?』と自問自答。退社。カラオケ店、IT関連企業(そこそこ大きい)、建設会社、鉄道工事作業員、、、様々な仕事に就く。

そんなこんなのすったもんだで 自分の店を持ちたいと思うようになる。そして、接客の勉強のつもりで大阪のデニムメーカー「FULL COUNT」洋服の勉強のつもりで「DRESS TERIOR」で勉強させてもらう。この頃から周りは結婚ラッシュ。お金もなく、お祝いもつつめない。そんな状況の中ひとつの考えが、、、『ん!絵をおくろう!』的な考えで詩をつけ、絵を贈るという暴挙にでる。(この頃はじめてパステルに挑戦しはじめる)
何気なく本屋で見つけた、とある出版社の真っ白な本に好きなものを描いたり、貼ったりして応募しようというコンテストに何気なく絵本を描き応募してみる。なんとかヴィジュアル賞を頂く。(応募したことも忘れ、副賞もなかったので、どこの出版社かも何という名のコンテストかも覚えていない。。。)
そしてついに、大阪の南船場で 念願の自分の店『B.O.K.S(ボックス)』をOPEN。(プレスではB.O.K.S=BOX で 自分だけの世界を見つけてほしい。と唱っていたが、本当はブティック オチョボ キリハラ セレクション の略である)

現実はそんなに甘くはなく、店舗運営をしながら、IT関連の会社でWワーク。自店では備品を作ったり、絵を描き描きする日々がつづく。
そんな ある日、ある方から『個展を開いてくださいよ』とありがたい言葉を頂く。調子にのって、ノってみる。松屋町、空掘のカフェ&クレープ『囲茂庵』にて、個展と称し『ichigo-ichie展』を開催する。そうこうしてるうちに、ロメオ・ザ・フレーバーのCDジャケット制作。ma7ko CD ジャケット イラスト提供。OVER LIMIT ランチバッグのイラストコラボ等々のお話を頂く。
色々なご縁もありアートスペース『亜蛮人』に出入りさせてもらうようになる。 亜蛮人 年末展、ポストカード展、パンダン展、年末展に参加。そして、 亜蛮人にて個展『キリハラカズヒロ バラバララバ蛮展』開催。

同年、 東京デザインフェスタ 参加。そしてついに、B.O.K.S閉店ガラガラ。この頃、ふっと『ロンドン なう』とか突然つぶやいたら面白いかも?っというノリから渡英を考える。しかし、どうせなら絵を学びに行っちゃっても良いんじゃないか?そんなノリで留学決定。2013年 2月『キリハラカズヒロ あやか 迷子の二人展』を囲茂庵にて開催。同年3月~4月『キリハラカズヒロ あやか 迷子の二人展 すて~じ2』を急遽大阪 北浜のギャラリー LINKS にて開催。この頃、以前からずっと描きたいと構想に入れていた 絵本 のエピソード編となる『オワリとハジマリのお話』をふっと思いつく。その1ページ目を描きはじめ すて~じ2にて展示。すて~じ2終了、2日後に渡英。ロンドン到着。だがしかし、飛行機の到着が遅れ、ステイ先に着くもステイ先の主に突然 怒鳴りちらされる。とにかく『Sorry!』と連呼してその場を免れる。先行き怪しい幕開け。ロンドン到着後、ちょうど初めての週末。Angelと言う街のマーケットに意気揚々と出かける。本場のマーケットを堪能。

しかし、事件は起こった。脇道のある歩道を通りすぎようとした瞬間。いきなり左折してきた車に跳ね上げられ空中で数回転して落下。『おわった・・・』と本気で思う。近くのお店の人が飛び出してくる。運転手も飛び降りてくる。英語・・わからない。どうしようかと考える。骨は折れていないよう。頭も打っていない。パスポートはステイ先、ステイ先の住所も電話番号もわからない。何とか立てる。なので『I’m OK!』と言う。車の運転手は逃げるように走り去る。飛び出してきたお店の人は本当に大丈夫か?と話しかけてくる。ひたすら『I’m OK』と言い、とぼとぼ歩きはじめる。自分の語学力のなさと身体の丈夫さに驚く。
そんなロンドンでの生活がはじまる。語学学校としてSt.Gilesに通いながら、ロンドンの美大St.Martinのショートコースに入校する。St.Martin では現地の方が通うコースだったので、もちろん会話はネイティブな英語。全くわからない。身振り手振りで何とか理解する。そして、何とか期間の3ヶ月がすぎる。が、画力が上がったのかは謎。
その後、約1ヶ月かけ欧州を数カ国まわる。各国の美術館をまわり、いろいろ考える。2013年、8月に帰国。
この数カ月の旅で感じた事。日本は恵まれてはいるが、感情論や倫理論は体裁としてあげるだけの寂しい国。「心が豊かだ。充実している。我が人生に悔いなし!」と心から振り絞っている人は何人いるんだろう?そんな心の葛藤を抱えながら今も生きています。

さて、話は戻って同年 亜蛮人 年末展 参加。2014年、6月亜蛮人 パンダン展 参加。同月、なんと、酔って応募した『みんなのとんかつソース開発プロジェクト』なるマクドナルドの企画に選ばれ、マクドナルドのとんかつマックバーガーの新ソース開発に携わる事に。( 年内発売予定のとんかつマックバーガーのソースを開発した一人となる。)
そして、同年 10月、とうとう キリハラカズヒロ あやか 迷子の二人展 すて~じ2以来 ほぼ毎日描き続けてきた『オワリとハジマリのお話』が完成。
2015年、3月OVER LIMITのGt GUSSANがプロデュースするオムニバスアルバム「ウタウタイノヨル」のCDジャケット、挿絵を担当し全国発売される。
同年6月、Wワークで続けていたIT関連の会社が倒産し、就職活動を始める。同年8月よりラーメン屋に就職。しかし、あまりの長時間過酷労働の為、手の神経が圧迫され動かない状態に。結局、手の神経を回復させる為に手術をする事となり退社。
同年7月(株)アイヴィジット(官公庁関係業務委託会社)に準社員にてSVとして就業。しかし、将来を考え退社を決心し、自分らしい新しい道を探すべく就職活動を再開。
そして、BLFの存在を知り、ボーダレスの存在を知り、こんな自分がどこかの誰かの為になれる人間になれるのならと、BLFの門を叩き今に至ります。

長くなりましたが、他人から見れば回り道だらけのダメ人間。こんな僕でも 自分なりにまっすぐ生きています。両親に感謝。友人に感謝。今まで出会った、そしてこれから出会う沢山の人たちに感謝。そんなこんなを考える 今日この頃でございます。大変長くなってしまいましたが、ご清聴ありがとうございました。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。