座右の銘

他人笑ゆん人どう自分笑い(奄美大島のことわざ)

メッセージ

私の目標は『アートとファッションのチカラで子供達のハッピーを増やす』こと。経済的な理由で学業に専念できない子供達に勉強できる環境を作ってあげたい。子供達自らが作るアートとファッションから利益を生み出し学業に反映できるビジネスモデルを構築します。
あなただけのカラーを生せるボーダレス・ジャパンというキャンバスで一緒に夢を描いてみませんか?

わたしの履歴書

上田勝仁

1977年6月23日生まれ。 神戸市出身

奄美大島から出てきた母と四国から出てきた父の間に生まれした。
両親ともに島国出身で南国のなんともおおらかな雰囲気の家族の中で育ちました。
両親が共働きのため2歳から保育所に預けられ、画用紙とクレヨンで絵ばかりを描いていました。
小学校でも教室の隅で漫画ばかり描いていてひとりぼっち。ある日、漫画を描いて欲しい!と同級生から頼まれ描いてあげたのをきっかけに友達ができました。あの時の喜んだ友達の笑顔すごく嬉しかった!

中学生の時、私の人生にもっとも影響を与えた人との出会いがありました!
教師2年目の美術教師との出会いです。
その頃、母親が病気になったり経済的にも苦しく生活が不安定になり、自分自身を見失う様に希望を無くしていました。
そんな中、彼はいつも私を励まし応援してくれていました、どんなに私が反抗的な態度をとってもいつも真剣に話を聞いてくれて、受け入れる姿勢を示してくれました、両親に相談することが出来ない私には親代わりの様な存在でした。
その後、その先生のお力添えもあり、私の学力では到底無理な美術高校に推薦枠で受験の機会を与えていただきました。
私が自暴自棄にならないよう、進学できなくてもせめて受験の機会と経験をさせて欲しいと学校にお願いしてくれたそうです。
受験は失敗しましたが、実際にこの受験は私にとって貴重な経験となりました。
恩師とは現在もお付き合いさせて頂いています。

この受験の経験と友達に漫画を描いた時の喜んでくれたあの笑顔。
自然にいつかは大好きな絵を生かして人をハッピーにするような仕事がしたいと思うようになりました。


アパレル企業では販売職の仕事につきました、接客でお客様をハッピーにできる仕事だからです。その後も全国展開する高級注文紳士服の店長や広報、米国高級百貨店の日本法人でマネージャーを経験しました。

一つの依頼がきました。
恩師の美術教師が震災復興をテーマに何か授業ができないか?との依頼です。
この頃、仕事の合間に神戸市のトライアルウィークで美術科目の恩師の担任する学級に美術の講演などボランティアで授業をさせていただいていました。今回はちょうど震災10年の節目のタイミングでの依頼でした。

震災を経験した子供達に私ができること・・・
「大好きな絵とファッションでみんなをハッピーにすること」
私はこの想いで、神戸市立の中学校で震災をテーマにTシャツを作成する授業を開催しました。

テーマはズバリ震災10年。
この授業では、完成したTシャツを実際に販売することも目標にしました。
目標にこだわったのは実社会と関わり売り上げを生み出す経験は子供たちがいずれ社会に出た時に大事な経験になるのでは?と考えたからです。チームでは、デザイン、広報、リサーチ、販売担当と実企業を模して役割を分担しました。実際の販売店に市場調査に出かけ、最終的には学校の体育館で展示会を開催しました。
学年もバラバラの中で結成されたこのチームでおたがいの立場と役割を考えて意見をぶつけあい、各々に自分たちの考える震災10年をテーマにイラストやデザインにしていきました。

新聞記事
そして子供達は見事、Tシャツの商品化を実現したのです。
実際にこの震災10年Tシャツは神戸市のいくつかのアパレルショップに卸し販売して頂きました。地域と企業がこの商品に理解を示してくれたことは嬉しいことです。
始めは子供達をハッピーにしようと始めた取り組みにいつしか私がハッピーな気持ちになっていました。

現在Business leather factoryで勤務しています。お客様に販売を通じて満足して頂く事がバングラデシュの雇用にも繋がる。
「みんなをハッピーにする」まさにあの想いに答えてくれるブランドです。


ボーダレス・ジャパンには自然と気持ちが熱くなり、未来を信じさせてくれるハッピーなチカラがあるのです。
みんなのハッピーをボーダレス・ジャパンで叶えましょう!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。