座右の銘

I believe the music save the world.

メッセージ

何か1つでも自分自身に熱いものを持っている人、そして自分の持っている力で世界を少しでも変えてみたいと日々夢を抱いている人であれば自然とボーダレスへ辿り着くと思います。自分が自分らしく働ける場所、それがボーダレスです。
夢や想いは必ず持つべきもの。しかしその夢や想いは「行動」無しでは何も実現できないと思います。そんな小さくても大きな一歩を私達と一緒に踏み出しましょう!
Stop dreaming, Start playing!!!

わたしの履歴書


鹿児島産まれ宮城県育ちで実家は酒屋、現在41歳で1歳半と3歳の娘がいる子育てバンドマンです。
将来娘2人とスリーピースバンドを組むことが夢、そして「人のためにできることに全力で挑む」が生涯のテーマです。

10代、高校を卒業してからは宮城の片田舎で実家の酒屋の手伝いと数多くの日雇い肉体労働バイトの日々でした。
「俺はいつか必ずデカイことをやってみせる!」と思うようになったのはこの頃からのような気がします。しかし、20歳のときにバイクで大事故を起こし、一命は取り留めたのですがその時の就職なども全て水に流れ、リハビリの日々となり、自分は何をしたら良いのだろうと葛藤の日々でした。
その後、もちろん英語は全く話せなかったのですが23歳のときに初めて海外カナダとアメリカへ渡航し、列車でカナダを横断したりし色々なことに衝撃を受け、英語を身に付けたいと決心しました。
それからは現場作業や様々な日雇いバイトなどでお金を貯めては海外でバックパッカーや自分探しの自由旅をしていました。
その後、乗っていたハーレーを売ったお金とバイトで貯まった資金で26歳のときに思い切ってオーストラリアへ長期留学を1年間しました。
バンドをやったり路上で弾き語りをやったりバーベキューをしたりアウトバックを旅行したりと様々な国籍や地元オーストラリア人の友人達のお陰で生涯忘れられない最高の思い出となりました。
ボーダレスハウスを通して海外から来日される方々のために手助けがしたい、この想いはこの留学の経験からの滞在されるゲストの皆さんへの恩返しと思っています。

その後帰国し宮城から東京へ引越し、数多くの様々なアルバイト、そして留学エージェントとして勤務し海外へ留学したい人たちのサポートをしました。
その後は東京ビッグサイトで年2回開催している国際アートイベントで勤務し国内外から来るアーティスト達のサポート、そして最近まではホームセンターでDIYと園芸の担当として勤務していました。

大好きな音楽の話をすると、10代後半に聴いたシアトルグランジバンドのNIRVANAに衝撃を受け、その後始めたライフワークのバンド活動は20年続けていて、自分の夢でもある「自分の信じている音楽で世界中の困っている人たちを救いたい」という想いから始めました。
その気持ちが更に強くなったのは、2011年3月11日の東北の大震災でした。
地元の宮城が被災し、親戚などが亡くなり、いてもたってもいられなくなり、即仲間のバンドマンと一緒に軽ワゴンに道具を積んで被災地の石巻へ向かいました。その時の酷い光景は生涯忘れられない記憶となりましたが、被災地でのボランティアを通して様々な人たちと知り合い、瓦礫の撤去など手助けが必要な被災地の人たちのため自分にできることを全力で挑みました。
震災が起きた翌日、仲間のバンドマンと共に被災地のために立ち上がり、東北復興のためのチャリティーライブイベントを自分が主導で立ち上げ、多くはないですが半年で約50万円弱を被災地へ義捐金として送りました。

この経験から更に自分の夢「大きなチャリティーライブフェス実現」への想いが強くなり、日々精進しています。

「自分の信念、そして持っている力で少しでも世界を変えたい」こんな夢と想いをボーダレス・ジャパンを通して実現していきたいです。

"I believe the music save the world"

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。