座右の銘

鶏口となるも牛後となるなかれ

メッセージ

貧困問題を解決できるような事業をつくりたいと思い、ボーダレスジャパンに入社しました。この会社では、「そんなことあなたにできるはずがない」なんて言う人は誰一人としていません。いつも挑戦できるフィールドが与えられているので、それをしっかりと活かして夢を実現していきたいと考えています。

わたしの履歴書

1991年3月生まれ。一人っ子。
赤ちゃんの時はせっかちな性格でミルクを高速で飲み、母がミルクを用意するのが遅れると本気でキレていたそうです。いまでもご飯を食べる速さだけには自信があります。

幼稚園、小学校ではどちらかといえば内向的な性格で、運動は苦手、勉強もそこまで得意でもなく、本を読んだり、文章を書いたりするのが好きな子供でした。
小学校4年生のとき、父の仕事の都合で急にアメリカに1年間連れて行かれました。最初に覚えた英語は、クラスメイトたちが私に向かって連呼した、「スーシー」と「ポッキモーン」でした。
それが「寿司」と「ポケモン」という意味だと3日後に判明した時の感動は忘れられません。そこで言葉が通じるありがたさを実感してからは、決して自分から人に話しかけることの無かった私も、次第に人と抵抗無く話せるようになりました。
今では抵抗無く、というレベルを超えて、店員さんにもどうでもいいことを話してしまって仲良くなったり、迷惑がられたりしています。

中高は神奈川の女子校である洗足学園に通いました。今思えば勉強と部活にだけに打ち込んだ、健康的きわまりない6年間だったと思います。部活は弦楽合奏部に入り、このときはじめたバイオリンは結局大学に入ってからも続けました。10年もやっていたことは本当は内緒にしておきたいレベルですが。

生まれてはじめて勉強にもはまり、中学時代は朝5時半から起きて勉強をする習慣がありました。社会人になってからまたこの習慣が復活し、今は朝4時に起きています。

大学はまだ何に興味があるのかが分からなかったので、とりあえず大学に入ってから学ぶことを決めようと、早稲田大学文学部に入学しました。しかし、入ってからも特に興味のある分野は見つからず、なりゆきで言語心理学、という学問を専攻しました。かなりマニアックでした。
また、弦楽のサークル、そして国際協力の学生団体にも入りました。昔から私には、不平等に嫌悪感を覚える性格だったので、「世界の自分より恵まれない立場にある人たちに何かをできないか」、という気持ちがありました。まずはバイト代の一部を寄付することからはじめましたが、もっとできることがあるのではないかと思い、アフリカへの給食支援の学生団体「Table For Two」に入りました。そこでは、自分でも出来ることがあるんだ、という喜びを感じたとともに、もっと大きな影響をあたえられる方法はないのか、と考えはじめました。

そこで出した結論は、「ビジネス」でこのような問題を解決すること、そのために自分はベンチャー企業に入り、事業を作る力を身につけて、事業を立ち上げることでした。
そう思って就活をはじめたものの、最初は自分の興味のない分野でのベンチャー企業しか見つかりません。そうして悩んでいた時期に、たまたま参加した学生と社会人の交流会で副社長の鈴木さんと出会いました。「ソーシャルビジネス」の会社をやっていると聞いて、これは話を聞いておかなければ、と「お話聞かせてください!」と勢いよく話しかけ、話をはじめてすぐに、「この人が将来私の上司になるんだな」と直感的に感じたのを覚えています。

ボーダレス・ジャパンに入社し、自分の出来なさに落ち込んでばかりいた時期もありましたが、今は常に仕事が楽しくて仕方がありません。
いつも気がついたら仕事のことを考えていて、でもそれが本当に楽しいのです。周りの人には気持ち悪がられますが。
お客さんに喜んでもらえた時、着実に目標へ近づいていると感じる時は特に嬉しいと同時に、もっと喜んでもらいたい、もっと早く近づきたいという気持ちにもなります。これからこの会社のフィールドを使って、夢を一日も早く実現したいと考えています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。