座右の銘

稼殖是宝

メッセージ

「知らない事に起因する人種差別をなくしていきたい」
これが、私がボーダレス・ジャパンで実現したいことです。自分自身、知り合いの外国人のサポートや話を聞く中で、外国人に対しての不平等な扱いを目の当たりにしてきました。 生まれた国や文化、考え方の違いをお互いに理解していくことで人は気付き、考え、成長していけると思います。「国籍や肌の色は違うけど同じ人間」そんな考えや経験を持った人達をたくさん輩出し、ボーダレスな社会を作っていきたいです。

わたしの履歴書

1982年7月生まれ。埼玉の300~500頭の牛を飼育している牧場の4人兄弟の末っ子として誕生。常に10人以上が一緒に暮らす大家族の中で育ってきました。一番上の姉とは9歳離れており、3番目の兄とも5歳離れていたため年上の兄弟に鍛えられながら逞しく育つ事ができました。

自営の家だったため、0歳児の時から「なかよし保育園」に通っていました。保育園の方針として「スカートNG」だったので、今でもスカートを履くと落ち着かずあまり好きではありません。

一つ誇れる事は、小学校から現在まで無遅刻・無欠席・無早退(電車の遅延を除いて・・・。) 馬鹿は風邪をひかないと言いますが、体だけは丈夫です。

何かにチャレンジする事が好きで、昔から色々な事をやってきました。 小学校時代は習い事や少年団に忙しく、学校の後は何かしら忙しく過ごしていました。

<小学校時代の習い事リスト>
・スピードスケート(今考えるとなんでフィギュアスケートではなくスピードスケートだったのか謎ですが、当時たまたま実家から徒歩10分位の所にスケートリンクがあり、スピードスケートの少年団があったので入団しちゃいました。東武鉄道杯という大会で新人の部で優勝した事も。田舎の狭いリンクだったので3ストローク位ですぐコーナーに到達するため、コーナーリングだけは得意でした。)
・水泳(友達の誘いで開始)
・バスケットボール(友達の誘いで開始。スラムダンクを愛するバスケ少女でした。)
・ピアノ(友達の誘いで開始)
・習字(字が汚すぎて親に通わされました。)

中学時代はほぼバスケットボール一色でした。授業の前の朝練から始まり、授業後の部活動と充実した毎日を送っていました。ただ、学校一上下関係の厳しい部活だったため、今考えればありえないような先輩との出来事が多々ありました。そのおかげか、同じ苦難を乗り越えてきた当時の女バスのメンバー達は一生の友達となりました。(また、今思えばこの経験から後に直面する事となる会社の倒産時の集団クレームを乗り越えられたのかなと感謝しています。)

 

高校時代はやはりバスケットボール部に所属しました。ただ、高校の体育館も男バスに独占されてしまい、体育館を使わせてもらえなかった程弱小の女バスでした。

大学時代は何か楽しいサークルに入ろうと思って選んだのがスキューバーダイビング部でした。大学時代はバイト、部活の一色でした。また、働き過ぎて扶養から外れてしまい親から怒られる程明け暮れていたバイトの給料で夏休みの長期休暇にはオーストラリアへ短期留学、フランスでのボランティアに挑戦したりと学生時代を謳歌していました。

 

大学卒業後は某英会話スクールの営業事務として約7年働きました。新卒での入社でしたが、入社時期を選べるというユニークなシステムがあり、社会人になる前に経験できる事をしておこうと一番最後の入社時期である翌年の1月入社を選びました。本来なら4月から同年代が働き始めている中8ヶ月程オーストラリアでワーキングホリデーをして過ごしました。
その時自分で作ったルールが2つ。
①限られた時間の中で英会話の上達をさせるため、なるべく日本人とはつるまない。
②日本では経験できないような仕事をする。
お金が尽きそうになったらその土地に定着しお金を稼ぎ、そのお金を元手に次の土地へ移るという放浪の旅をしていました。

帰国後、某英会話スクールで働くも1年10ヶ月で倒産。その後、他の企業が事業継承をし結局約7年程その会社にはお世話になりました。
今振り返ってみると、会社の立て直しや当時相次いでいた英会話スクールの倒産によって受け入れる事になった他社の受け入れ対応、また、初の海外進出となったハワイ校立ち上げに携わる事ができ良い経験をさせてもらいました。

特に一人でハワイに投げ込まれ、3ヶ月間で何か現地の大学や企業と業務提携を結んでと言われ、右も左も分からない中奔走した結果、2大学・5社から業務提携の契約を取る事ができ手応えを感じました。
また、新しいビジネスの仕組みを作るという事にやりがいを感じました。帰国後、ルーティンワークだけの働き方に物足りなさを感じ約7年間働いた英会話業界からの転職を決意。過酷な状況の経験や新たなチャンスをくれた会社には感謝しています。

前職を退職後に行った東南アジア旅行でたくさんのストリートチルドレンや物乞いの人達を目の当たりにし、ショックを受けました。そんな中出会ったのが人材紹介会社からの紹介で知った、株式会社ボーダレス・ジャパンでした。
「貧困」「環境」「人種差別」を解決するビジネスをしていると聞きやりがいを感じました。実際に面接へ行ってみると他の会社の面接とは違い、「お話しましょ。この会社に入る事が國分さんにとって良いことかどうかを一緒に考えましょう。」というThe面接の想定を覆す内容で驚いたことを覚えています。面接では副社長の鈴木さん、韓国のボーダレスハウスの李さんに会ってもらいました。面接では働き方や人生のアドバイスも頂き、こんな人達と一緒に働きたいなと強く感じました。

メンバーの一員として働くことになり、現在はシェアハウス事業に携わっています。直属の上司であるヤマトさんの人の成長についての熱い熱意や、年齢的には年下ではありますが会社の先輩になる青山くんや松本さんには日々教えられています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。