座右の銘

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

メッセージ

様々な差別と偏見、それにより追いやられ、苦しむ人々が世界中、そして皆さんのすぐ隣りに常に存在します。
誰もが自分らしく、心豊かな暮らしができる社会を作っていきます。

わたしの履歴書

張恵順

1981年12月、大阪市で一男二女の次女として生まれ、旅行好きだった両親と共に海や川へ旅行に行くのが大好きなごく普通の子でした。小学生の頃からお菓子を作っては自分の大好きな人達にプレゼントし、もらった人の喜ぶ姿を見るのがとても心地よく、気づいたらパンを作っていました。

約4年間、自分のしたいことをした後、私が昔から憧れていたオーストラリアへ3か月間短期留学(放浪)に行ったのですが、ここで私の初めての転機が訪れました。

ある日、滞在をしていたホストファミリー宛てに届いた一通の手紙をたまたま発見しました。 リビングに何気なく置かれていた手紙、ふと見ると子供の写真とその子が書いた手紙が添えられていました。早速、これは何なのかと聞くと、アフリカの子たちを支援しているんだと。24歳でそれまで何も考えずに、やりたいことをやりながら生きてきた私には大きな衝撃でした。

これが貧困問題に関心を持ち始めたきっかけでした。そして、私は帰国後、すぐに支援をできる団体を調べ支援を始めました。 (ボーダレス・ジャパンという会社に出会うまではこれが私ができる一番の支援だと考えていました。)

もともと 在日韓国人三世として生まれた私は、幼い頃から無意識のうちに<差別>というものを感じていました。 私が学生時代には今のような“韓国ブーム”というものが無く、在日韓国人に対して少なくとも、私の周りではあまり良い印象を持つ人が少なかった時代だったため、常に人前で名前を言うのがとても恥ずかしく、いつもビクビクしていたのを覚えています。

その頃の私は自分が在日韓国人だということがすごく大きなコンプレックスでした。これもオーストラリアで様々な国の友人ができ、なんて小さいことで悩んでいたんだと馬鹿らしくなり、その頃から自らのアイデンティティ、ルーツというものをしっかり見つめなおしたいと思うようになり、翌年韓国へ渡ってきました。

そして私の第二の転機は高校時代の同級生である李くんとの再会でした。
韓国で一般企業に入社し、大きな目的や仕事のやりがいを感じれず、悶々としていた頃に、李くんと再会し、その時初めてボーダレス・ジャパンという会社について話を聞き、なんて素晴らしい会社なんだ!と一人感動していたのを覚えています。

その後、田口社長鈴木副社長にお会いし、貧困問題、環境問題について、そして何よりも 自分たちが社会を変えていくんだ!と本気で話している姿を見て、自分の舞台はここだ!!という確信に変わり、AMOMA KOREAの立ち上げに携わることになりました。

紆余曲折の果てに自分と同じ志を持つ人たちがたくさん集まっているこのボーダレス・ジャパンという会社に出会い、やっと自分らしく、そしてなによりも多くのハッピーを生み出すために働ける。 何か自分なりにこの社会を変えるためにうまく貢献できる部分は必ずある。意志あるところに道は開ける。

世界中の一人でも多くの人たちがハッピー!!と大きな声で叫べる世の中を目指し、ボーダレス・ジャパンの一員として日々、考え、向き合い、全力投球していきたいと思います!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。