座右の銘

転んでもただでは起き上がらない

なぜこの仕事をするか

「フィリピンにおける貧困をなくしたい」 発展途上国であっても、基本的には現地の人たちは幸せに暮らしていると思っています。 ただ、私が現地で衣食住をともにしてみるなかで、病気になった、進学したい、災害が起きた、といった分岐点において 選択肢がない故に不幸のどん底に落ちていく人たちを目の前にしました。当たり前に自分の幸せを目指して生きていけるように、マイナスな部分を0になるために私は人生をかけたいと思いました。 一方で、単純にフィリピンがすごく好きで、合っていて、この人たちと一緒に生きていきたいと思うんです。

わたしの履歴書

1996年3月に神奈川県で生まれ、その後大学に入るまで、千葉県のニュータウンで育ちました。
3月生まれなので、雛祭りの雛に子どもの子で「雛子」です。

小学生の頃は基本的に引っ込み思案で、図書館で過ごすような子だったと思います。ある時、何となく言った「マラソン大会で前の方を走る人はどんな気持ちなんだろう」という言葉を母が聞き逃さず、ほとんど無理矢理駅伝クラブに私を入部させました。早朝もマラソン、通学もマラソン、練習でマラソン、走り続けて、小学校6年生でマラソン大会3位に上り詰めました。「努力は嘘をつかない」というのを原体験をもって感じ、以来才能がなくても人の何倍も頑張ることを大切にしています。

小中高と、なんとなく自分の生きる世界に生きづらさを感じていましたが、高校の修学旅行ではじめて海外に行き、オーストラリアの文化や景色に触れて「自分の生きる範囲外にこんな世界が広がっているんだ」と感じました。それから、外へ外へ、自分の知らないところへ飛び出すと面白いものが待っているぞと思うようになりました。

しかし、大学生になってみると、海外に行くにはずいぶんお金がかかるという壁が立ちはだかります。「学費以外のことは自分で支払ってね」という家庭だったので(今思えば、何でもお金を出さずに、自分でやりくりする大切さがわかるようにしてくれた両親に感謝)、アメリカやヨーロッパは高すぎて払えず、「安いから」という理由だけでフィリピンに渡航することになります。

そんな、自己中心的な理由で行ったフィリピンで目の前に広がっていた光景は、お墓の上やスラムで暮らす人たち。そんな光景とは裏腹に、そこで暮らす人々は底抜けの明るさを持っていました。はじめは単純にそんな国や人のことを知りたくて、知りたくて、何度もフィリピンに通いました。運良く文部科学省の給付型奨学金トビタテ留学JAPAN!4期生に採択され、1年間フィリピンに留学をしました。そこで出会ったのが、ソーシャルビジネスでした。

おもちゃ作りを通してお母さんたちの貧困をなくしていく会社でインターンをしていく中で、みんなの生活や子どもの未来が少しずつ明るくなっていくのを目の前にしました。

貧困削減において色々なやり方がある中で、もっとも自分に合っていて且つ持続可能な解決方法なのではないかと思った私は、ソーシャルビジネスを通してフィリピンの貧困をなくすことに人生をかけようと思いました。

大学卒業後はフィリピン現地でサステナブルツーリズムという形で旅行を通して課題解決をしていく会社で働いていました。手を取り合いたいと思っていた人たちと仕事ができて、向き合うことができて幸せだ、課題を解決していくんだと意気込んでいたのも束の間。コロナウイルスが私の人生を変えていきました。(結果的には良い方向に?)
旅行業界はど真ん中大打撃、フィリピンの大統領の一声で私の仕事は失われました。

終わりの見えないコロナ禍と、仕事も収入もない中、それでもフィリピンに関わり続け、フィリピンで貧困をなくすために生きる方法はないか、模索しました。そんな時、トビタテの同期のスズケンが背中を押してくれて、ボーダレスジャパンのU29起業家採用を受けました。運良く、ボーダレスに拾っていただき、私は今フィリピンの貧困をなくすべく、起業家として生きる道に立たせていただいています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。