座右の銘

やることはやる やるときはやる やれるだけやる

なぜこの仕事をするか

「途上国の貧しい農家でも十分な収入を得られる環境を作り、誰もがやりたいことに踏み出せるようにしたい。」まずはミャンマーで、その後はカンボジアの農家とともに創り上げていきます。

わたしの履歴書

1994年4月5日 北海道札幌市の端の町で長女として誕生。歩き始めた頃から野に放たれて育ち、自然とキャンプが大好きな子どもでした。

小学校に上がると、学校と寝る以外の時間を「鍵っ子」として児童館で過ごし、地元のお年寄りから竹馬や独楽、お手玉など昔遊びを教えてもらっていました。自然を利用して楽しみながら生活することやお年寄りの知恵に触れ、無意識にも「自分が知らない世界の日常生活」に興味を持つ、そんな幼少期でした。

小学6年生の時、ユニセフで働く日本人の方の自叙伝を読んだことがきっかけで「途上国」と呼ばれる国があることを知ります。「知らない国で自分とは違う生活を営む人がいる、そのような場所で働く日本の人がいる」。好奇心を刺激され、「どのような場所なのか、どのように働いているのかを知りたい」と貪るように本を読み始めました。

高校生になり、「本の中の世界に行ってみたい」と思うようになります。そのきっかけに、高校生活がありました。私が通っていた道立高校は校則が無いという自由な校風で(正確には1つだけ、「校内ではガム禁止」がありました。(笑)「自由・自立・叡智・創造」の校訓のもとに、「やることはやる やるときはやる やれるだけやる」という実行精神がありました。生徒の間ではこれに加え「やれなくてもやる」が代々受け継がれており、様々なことに自由に挑戦する環境がありました。ウガンダのエイズ孤児のコンサートスタッフをしてみたり、カンボジアの村に車椅子を贈る活動について授業そっちのけで話してくれる地理の先生から、活動団体の方を紹介してもらったり。自分のなかで遠い存在だった世界が少し近づいたようで、「やれなくてもやってみよう」と思えるようになったのです。

進路を決めるにあたり、「途上国との関わり方について学びたい」「北海道を出て世界を広げたい」と調べていたところ、まさに関心分野の研究をされている教授に行き着き、受験しました。入学後はその教授のゼミに入り、「途上国における開発と環境のバランス」や「支援とは何か」について学び始めます。他には途上国でのソーシャルビジネスを学ぶゼミにも入りました。支援・ボランティア以外での途上国との関わり方も見出したいと考えたためです。

また、大学入学と同時にカンボジア農村で教育支援活動をする学生NGOに入り、念願のカンボジアに約1ヶ月滞在しました。大学1年の夏でした。初めてのカンボジアの村では、「貧しくて可哀想」というイメージを抱くことはなく、私の原点でもある「自分が知らない日常生活」や「村の人の生きる知恵」に引き込まれていき、すっかりカンボジアの虜となりました。そこから年2回、長期休業毎に1・2ヶ月カンボジアへ行き村で生活しながら、「村からも大学に行ける仕組みづくり」に思考と体力のほとんどを費やしていました。実際に送り出した村の高校生が首都の大学に通い学びたいことを学んでいる姿は、とてもやりがいとなっていました。

しかし大学3年になり、当時のカンボジアとの関わり方に葛藤し始めます。活動の対象となる子ども達は学校に通えている子ども。一方でインタビューをしていると学校を退学せざるを得ない子ども達もおり、その原因の多くは「親に仕事が無いから」でした。「支援」ではない関係は無いかと考えていたところ、片方のゼミで学んでいたソーシャルビジネスが浮かんだのです。机上での学びを体現したいと、ビジネスでカンボジア人と関わるために1年間休学し、現地の会社(カンボジアの村でハーブを生産・商品化・販売している会社)で働くことにしました。

この1年間のことは書き尽くせませんが、読み書きが出来ずとも手に職をつけ、収入を得ることで自信と選択肢を手にする彼女らと共に過ごせたことはとても大きな糧となりました。そしてソーシャルビジネスという手段で、これからも途上国に関わっていこうと決めました。

土地なし農家でも十分な収入を得られ、その家の子ども達が夢を描き踏み出せる社会にすることが目標です。だれもがやりたいことに踏み出せる社会はおもしろい、そんな社会を農家さんと創り上げていきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。