座右の銘

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

なぜこの仕事をするか

将来の世代に日本の多様な地方文化を残すため

わたしの履歴書

1987年5月に北海道釧路郡釧路町に生まれました。
「別保(べっぽ)」というかつては炭鉱で道東を支えた地域ですが、町の中心からも離れ、私の生まれたころは、買い物にも不便をするような辺鄙なところでした。
(幼馴染の実家はいまだに携帯の電波が入らないそうな)

別保とはアイヌ語で「小さい川」を意味するそうで、その名の通り川を中心に豊かな自然が広がるというより自然しか存在しない環境で、男3人兄弟の次男坊として自由気ままに育ちました。

今でもアウトドアは大好きですが、海や山よりも川が好きで、川でビールやスイカを冷やしながらキャンプをするのが毎年の楽しみです。
子どもの数も少ないため、小学校から中学校までは18名前後の1クラスで、「クラス替え」というイベントを経験せずに中学を卒業しました。
とても狭い界隈だけで育ってきたために、「新しい人と仲良くなる」というスキルがあまり育まれず、今でも若干のコミュ障持ちであります。

野球好きの父親の影響と、そもそも「野球部しかない」という学校側の事情もあり、小学校から中学まで野球を続け、高校でも流れで硬式野球部に入部するも、超絶弱小ど田舎チーム出身の私が活躍できることはなく、それまで勉強も運動も簡単に一番になれると思っていた私は人生で初めての挫折を味わいました。
ただ、1つの目標に対して死ぬ気で努力する、という経験を得られたことは今思えば大変実りのあるものであったと思います。

大学受験では第一志望に落ちて2度目の挫折を味わいつつも、なんとか横浜市立大学に入学することができました。
コミュ障を自覚していた私は「友達なんて作れるだろうか」という不安もあり、男子学生寮に入寮することとなりました。
そして、これが私の人生を大きく狂わせることとなりました。
20歳前後の男が60人も集まっているので、皆さんのご想像通り、いや、想像以上にタフな環境であり、私も数々の洗礼を浴び、またそれを後輩に浴びせて参りました。

暴力的なことは一切無いものの、ここでご紹介するにはあまりにはばかられますのでそれはまたの機会としたいと思います。
ともかく、それまで真面目に生きることしか知らなかった私の人生に幅を与えてくれたという意味で、とても充実した大学生活でした。

社会人になってからは、メーカーの調達部門→製造業系中心のコンサルティング→新規事業系中心のコンサルティングと3社を経験しています。

特に1社目と2社目では全国のいろんな企業を訪問する機会があったのですが、その中で「地方の活気のなさ」がだんだんと気になるようになりました。
主要駅の前でも人気はまばらで、大きな通り沿いはどこも似たようなチェーン店が並びます。
まさに自分の出身である釧路と同じような光景です。
地方出身者である私は、このまま東京への一極集中が続き、地方が大資本によって同質化されながら衰退していくという未来に対し疑問を抱くようになり、それが少しずつ大きくなっていきました。
そして、子供が生まれたことをきっかけに「自分は子供や孫の世代に何を残すことができるのか」を真剣に考えるようになり、地方の課題に、自らもその地に住みながら向き合うことを決心しました。

私は、日本に限らず全世界における諸問題は、資本化と中心化による弊害であると考えています。
その問題に、「日本における地方への人口回帰」の視点から取り組むことで、ローカルな経済を復活させることが目標です。
そのために、まずはここ新潟で、この地の課題に真摯に向き合っていきたいと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。