座右の銘

educate yourself.

メッセージ

世の中に起こるすべての事象、そして存在するすべてのいのちに意味があり、そして価値がある。だからこそ大切な家族や未来の子供たちのために、各々ができることを生かされる場で 全うしなければならないと考えます。そしてその一つ一つが、世で問題とされる物事の解決に繋がるならば、より美しい社会だなと思うのです。私は、『誰もが生き甲斐と使命感を実感することができて、それらを胸にワクワクすることのできる社会』を築くことを生涯の目標とし、一刻も早く想いや希望を形に変えることのできる事業家となります。

わたしの履歴書

仲渡春菜

1991年5月 ドイツにて誕生。
誕生後いきなり逆さ吊りにされた(注;ドイツでは、至って普通な検診方法なんだとか)私は、豊かな自然と、恵まれた環境の中すくすくと育ちました。なんでもよく観察をし、物覚えが早く、決めたことは自分でやらないと気が済まない頑固で破天荒なおてんば娘だったそうです。

父の転勤のため、ドイツを初めとし、これまで様々な土地で暮らす機会に恵まれました。食や文化、価値観や取り巻く環境も常に流動的で、一体何が普通なのかもわかりませんでした。
なぜいつだってマイノリティなのか、自分はどこの人間なのか。自問自答する中で、その答えは簡単には見つかりませんでしたが、後に自身の使命を認識するきっかけとなりました。
同時に、確固たる自分が形成されていったと感じています。自分の目でしっかりと見て、耳を澄ませ、受け入れ理解すること、揺るぎない自分として立つことを覚えました。また、置かれた環境に素早く順応する力と、人と交わり、コミュニケーションをとること、絶えない笑顔と鈍感なほどのポジティブさを身につけました。幸いにも、どの土地に行っても本当に素敵な人、そして環境に巡り会うことができ、現在に至ります。幼少期から「孤独」と「何気ない幸せ」とを体感できる環境に恵まれたこと、そして多くの教えを唱えてくれる家族と周囲の方々に、ただただ感謝するばかりです。

小学校ではスポーツに目覚め、勉強やお習字などの習い事にも打ち込み朝から晩まで目標を掲げて達成に向けてみっちりと堪能しておりました。思い返すと、決めたことは納得いくまでしなければ気が済まず、頑固かつ今よりもずっと冷静な子供でした。
そんな私ですが、ある日「ツバル」という国について学ぶ機会がありました。地球の温暖化現象により海面が上昇し、沈んでしまうかもしれない!という事実を知ったときは、受け入れがたく、どうしたらよいものかわかりませんでした。初めて、「地球のどこか自分の知らないところで、全く違う世界が存在する」ということを頭で理解した瞬間でした。
それを機に、世の中のために何かできる人になりたいと強く思うようになり、中高と学びを進めます。
国内外問わず、世の中の問題や矛盾に益々敏感になっていった私は、飢え、格差、教育問題そしてゴミ問題の中でも根深く存在した“貧困”について、深く考えるようになりました。将来国際的に活動をする上で、語学力を身につけたかったこと、そしてロータリークラブという国際協力に尽力してきた団体に興味を持ち、留学を決意し、16歳でオーストラリアに渡りました。一方、ボランティア活動をしてみても、どんなに様々な事象や活動家の知見に触れたとしても、実態はわかりませんでした。

その後、国際基督教大学に進学し、DPS(開発学)とMCC(メディア、コミュニケーション、文化)をメジャーマイナーとして専攻しました。学びを進めながら多くの“貧困”を抱える開発途上国という地にたどり着けたのは、19歳のこと。学生だけで資金調達からプロジェクト立ち上げから現地に赴いて実行運営する国際協力学生団体に所属し、その仲間とともにネパールへ渡りました。
私たちが支援していたのは、電気が1日に7時間しか届かないとある村。村の人々と同様に、日の出とともに起床し、水汲みに行き、日没とともに就寝するという生活をしながら、毎年1000冊の本を届けることを初め、子供たちに夢と希望を与えることができるよう、様々な活動を行いました。
識字率が世界の中でも下位を争うネパールでは、本を読む価値が認識されておらず、夢というもの自体がなにかわからないという状況でした。
何から手を施していいのかわからないくらいの第一条件の中、実際に活動を通して気がついたこととして、外(私たち外の人)から内(当事者)へと働きかけて与えるばかりでは、根本的な問題は解決されないということ。
そして2つ目に、弾けんばかりの笑顔とキラキラした目を持つ彼らにとって、一時的に何かを一方通行ですることは、押しつけなのではないだろうか?ということです。そもそも“貧しい”ってなんだ?“真の幸せ”ってなんだ?これらについても考え直すきっかけとなりました。
実際に現地で活動をしてみた結果、私が実現したいことは、彼らの状況を転換し、選択肢の幅を広げることだと認識しました。よって、持続可能性とインパクトの大きさの観点から、活動に限界を感じ、ビジネスが必要不可欠であると実感しました。

“事を起こし、築く事のできる人となる”という目標を掲げ、コンサルティングファームや営業畑、企業と民間を紡ぐサービス運営に加えて地域活性、そしてIT企業でのインターンなど、様々な切り口から世の流れと人、モノ、お金の動きを学びました。
同時に様々な問題を認識するべくバックパックでアジアを中心に歩き、やはりわたしは生涯を通じて、“自分が関わった人や土地、それらに対して事を起こし、愛と勇気を与える事のできる人でありたい!”そう強く感じました。早速いくつかのプロジェクトに自分発信で取り組むものの、全くの力不足で思うように事は進まず、自分の無力さを痛感することとなります。

そんな中、自分が一生をかけて成し遂げていきたい、顔の見える相手に対して、本気で社会問題の解決を仕掛けていくボーダレス・ジャパンと出逢ったのです。
まさに自分が実現したい事を実践している社会起業家集団。ボーダレ・スジャパンがより多くの人に知ってもらえるよう、私も日々努力をし、一刻も早くより多くの社会問題を解決へと導きたいと思います!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。