座右の銘

頭で考え、心で決める

なぜこの仕事をするか

自分の仕事のスピードが社会貢献へのスピードに繋がる、それを日々ダイレクトに感じます。ボーダレス・ジャパンには目標を同じくする仲間がいる、それを励みに私自身その流れを作っていけるよう邁進します。

わたしの履歴書

寺師悠

1988年3月9日、鹿児島県生まれ。
待望の第一子ということもあり、愛情たっぷり、わがまま放題に育ちます。

幼稚園は福岡で、ほぼ毎週近所の動植物園に通っていました。
ですが小学校で鹿児島に戻ったため、その頃の記憶は希薄です。

鹿児島では、平日は母の実家で、週末は父の実家と、親はもちろん祖父母たちと過ごす日々。母方の祖母が油絵を描いていたので、毎日自分もチラシの裏に絵を描いて自慢していました。父の実家は山や川など自然に囲まれていて、よく山の中を駆け回っていました。このころから今の「オタクでアウトドア好き」という、よく分からない性格が形成されていった気がします。

小学校6年生のときに親から「弟が生まれる」と衝撃の告白。嬉しいというより、最初はただただ戸惑いました。ちなみに母はそのとき45歳で産院の最高齢出産を更新したそうです。いま考えるとすごいですね。弟のおかげでわがままが少し減り、姉としての自覚が芽生えました。

中学受験をし、中高一貫校に進学。6年間に1度だけの修学旅行、それが私の人生の岐路でした。行先はスイス、フランス。アルプスの雪山で、絵本の中の世界が現実にあるんだ!と大興奮。海外が大好きになって帰国。その後も世界各国へ旅行に行くようになります。

大学はAO入試で九州大学の芸術工学部画像設計学科に入学しました。ここで完全にオタクとして成長を遂げます。学園祭で空間演出を行うサークルに入り、どっぷり参加。映像や照明制作を行い、つなぎ姿で大学に泊まり込む日々でした。

卒業後は東京の広告代理店に入り、TVを中心とした通信販売を商品選定からコールセンターの受注まで全てを担当。制作会社の男性陣に交じり昼夜問わず働きました。そして1年目に出張で行った上海で新たな衝撃を受けます。万博の時期だったのですが、ベイエリアでは開発が進み、そのすぐ横にはボロボロの民家が立ち並ぶ。同じ国でここまで格差があるのかと驚き、社会の見方が一つ変わりました。

その後PR会社に転職し、ヨーグルトやフランス学校の広報、宣伝を担当していましたが
その傍ら、アウトドアイベントや音楽フェスとあちこち参戦し次第にイベントのボランティアを行うようになりました。さらにいくつかのボランティアを経て、以前より気になっていた青年海外協力隊の短期ボランティアに応募。今でも仕事の合間、応募書類を書き上げた自分を「よくやった!」と褒めてあげたい気分です。

運よく選考を通過し、1ヵ月間スーダンに派遣。先輩隊員と一緒に、環境教育を中心とした聾学校でのアクティビティや地元ボランティアとのワークショップを行いました。スーダンでは約7割がイスラム教徒で、首都のハルツームはとても治安が良く子供たちも夜遅くまで公園で遊んでいます。出会った人々も良い方ばかりで、とても同じ国の人々が内戦を繰り返しているとは信じられず、強い悲しみと自分の無力さを覚えました。

帰国後すぐに東京から福岡へ引っ越し、そして結婚。福岡で自分が何をできるだろうと模索していたところボーダレス・ジャパンに出会いました。自分のやりたいことを最短距離で実践している会社、そしてママたちが明るく働いている会社、それをすぐに感じ入社を決意しました。

まだ社会事業家への道を一歩踏み出したに過ぎませんが、その先に自分の思い描くビジョンがあると信じ歩み続けていきたいと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。