座右の銘

迷ったら前へ。苦しかったら前に。つらかったら前に。
後悔するのはそのあと、そのずっと後でいい。

メッセージ

「社会問題を解決するプラットフォーム」という理想は、実現できれば社会にとって必要不可欠な場になると思っています。そんな場所を人事として創っていける。やりがいしか感じませんが、目指すものにはまだまだ遠いことも分かっています。
どこまでその理想に近付けられるかは分かりませんが、方向は少しずつ違えど「社会問題をなくしたい」と突き進むメンバーと共に、理想を現実に変えていきます。

わたしの履歴書

1990年3月生まれ。じっとして動かないわりによく食べるのは、昔から変わっていません。 穏やかな父、明るく活動的な母、2歳下のよく似た妹の4人家族。私が中学生になってからも、週末になったら4人揃って公園に出かけていたような仲の良い家族です。

小さい頃から興味のあるものには次々と手を出してきたので、「将来の夢」もセーラームーン、デザイナー、イラストレーター、小説家と順調に遷移を続けて中学に入学しましたが、それが固まったのは中学2年生の夏でした。
野球部のマネージャーを引き受けたことがきっかけで野球に恋をしてしまったんです。
その時から「ずっと野球を追いかけられる仕事=スポーツ新聞の記者!」を猛烈に目指し始めました。新聞記者になるなら「新聞学科」がある大学に行くのが近道だと考えて、その大学に行けそうな高校を受験、入学。部活も文芸部に入部したり、校内の広報誌をつくる委員会に入ったり、野球場でアルバイトを始めたりと、一直線な毎日を過ごしていました。
大学受験も執念で大逆転を果たし、第一志望の大学に滑り込みで入学。ジャーナリズムやコミュニケーションについて学びながら野球場のアルバイトに励む毎日は幸せそのものでしたが、徐々にこんな疑問が浮かぶようになりました。
「仕事はずっと続けていきたいけど、ただ自分の好きなことを追いかけるだけで良いんだろうか」
それまで自分がやりたいことをやりたいようにできていたのは、周りの理解があり、色んな場面で助けてもらったからこそ。それならば、恩返しできる人になりたいと思うようになったんです。そこからは新聞記者を目指すのをスパッとやめ、「何をやったら恩返しできる人間になれるのか」を考えるようになりました。

そして就活を経て入社したのは、教育×ITで教育問題の解決を目指すベンチャー企業。新聞記者とも野球とも全く関係ない職業でしたが、人にとって必要不可欠な「教育」の問題をなくすための仕事は、自分にとって物凄く魅力的でした。
まずは現場を知るために家庭教師派遣の営業から始まり、電話営業、訪問営業を重ねてお客様と家庭教師を繋ぐことに奔走しました。たくさんのご家庭と先生に出会い、学びが多い1年半でしたが、「どうしても人事をやりたい」と思い、社長に直談判して入社2年目の秋に人事部へ異動。給与計算等の基本的な労務管理から、新卒採用、入社後研修の設計、実施、制度づくりなど、幅広い業務に携わることができました。
前職を辞めるつもりは全くなかったものの、不慮の事故?がきっかけで、入社から4年目の春に退職。「人事」という仕事はずっと続けたかったので、「自分がどこで人事をやれば、より世の中の役に立つか」という視点でのんびり仕事探しをしようと思っていました。
ところが、共通の知人の紹介で鈴木さんと会うことが退職直前に決まり、退職日に90分の面談を経てボーダレスに入社することが決まり、あっという間に仲間入りを果たしました。

不思議なご縁に恵まれて入ったボーダレス・ジャパンは、自分にとって、最高にワクワクできる場所です。
「社会問題を解決するプラットフォーム」という理想は、実現できれば必ず社会にとって必要不可欠な場になると思っています。そんな場所を人事として創っていける。やりがいしか感じませんが、目指すものにはまだまだ遠いことも分かっています。
どこまでその理想に近付けられるかは分かりませんが、自分にとって「やりたいこと」であることは間違いありません。方向は少しずつ違えど「社会問題をなくしたい」と突き進むメンバーと共に、理想を現実に変えていきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。