座右の銘

怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

メッセージ

娘を持つ母となったことで、子どもたちが未来にわくわくするような社会を作れる大人でありたい、子どもを持つすべての女性に自分らしく働いて生きることが当たり前の選択肢として存在する社会であってほしい、と強く感じるようになりました。
それが実現できるような力を身につけたい。ボーダレスで社会問題に本気で向き合う仲間に囲まれていることが力となり、日々走り続けています。

わたしの履歴書



1981年12月、東京出身。
とにかく工作とお絵描きが好きな子供でした。へんしんセット作って変身したり空き箱でからくり屋敷作ったり。はじめは立体が好きだったように思います。

お絵描きに本格的に集中し始めたきっかけはよく覚えています。当時少女漫画雑誌を買ってもらっていたのですが、一度読んでしまうと次は一ヶ月後。待ちきれない、続き読みたい、登場人物にもっと会いたい、そうだ!自分で描いてしまえばいいのだ!と思い立ちました。そこからとにかく対象を観察して真似して描く、ということをひたすらやり始めました。本物そっくりじゃないと気分が盛り上がらないので。

とにかく家の外でも内でもどこへ行くのもノートと鉛筆を持ち、夜もベッドに持ち込んでノートに顔を埋めて鉛筆を握ったまま寝てしまうような毎日を20年くらい続けていました。中高と運動部だったので完全インドア派というわけでもないのですが、振り返ればこれがデッサン力の基礎をがっちり作ってくれていたんだなあと思います。嬉しいときもつらいときもとにかく描く。お絵描きはいつでも私の味方でした。

そんな生活でしたので自然と美術方面に進路を定め、非日常空間を作り出せることに惹かれて大学では舞台美術のデザインを専攻していました。デザインするものがどうやって作られるのか知りたかったのと、友人に誘われて始めた映画美術製作のアルバイトで現場の楽しさに目覚めてしまい、就職のときはデザイナーではなく絵描きを選びました。

舞台大道具製作会社に入社して7年ほど背景絵描きとして働いていましたが、そこはいわゆる職人の世界で、入社後まずはバケツ洗いと画材の管理から。技術は見て盗むもので、描くチャンスは自分で見つけて周りに実力で納得させていかないと何年たっても下働きから抜けられない。でもできることがわかれば大きい仕事を任せてもらえる。舞台背景は画面がとにかく大きいので、全身使って描くことが楽しくて夢中でした。

会社の移転で退社後、一児の母となり、これからの人生のステージはどうしていこうか、元の職種は育児との両立が厳しかったため、まっさらの状態で考えました。そんなときに、ウェブサイト作れない?宣伝ができなくて困ってる人たくさんいるんだよね、とものづくりの仲間に声をかけられ、発信する力を身につけたら周りの役に立てるかもしれないとウェブデザインの世界に飛び込むことに決めました。

それまで実務でPCを触ったことがなく、今までいた世界とあまりに正反対なので非常に高く感じられるハードルではありましたが、ずっと克服したいと思っていた分野でもありました。半年間訓練校に通い、縁あってボーダレスに入社し、現在はボーダレスハウスのWEB担当として働いています。 意思も個性も強いボーダレスのメンバーに囲まれていい刺激を受けながら、人と人との交流を生み出すボーダレスハウスという事業の中で、自分の視野も広げていきながら成長したいと思っています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。