座右の銘

想いは手法の上流にあり、手法なき想いは無力である

メッセージ

熱い情熱を持った仲間たちと価値のあるビジネスを創りたい。そして、私自身がビジネスを産み出す側に立っていたいという想いを胸に、2008年にボーダレス・ジャパンに参画しました。入社後はシェアハウス事業(BORDERLESS HOUSE)、フェアトレード事業(AMOMA)、JOGGO事業部長を経験したのち、現在はクリエイティブ・デザインセンター(CDC)を担当しています。
CDCはボーダレスの全事業を横断的にサポートし、事業部の実現したい想いを「デザインのチカラで表現する」ことをモットーとしています。そして、デザイン力によってビジネスをさらに躍進させるエンジンブースターのような役割を担っていきます。

わたしの履歴書

1980年9月生まれ。茨城県水戸市出身の一人っ子。
一人っ子という特性なのか、寂しがりやだけど一人の時間がなきゃダメ、賑やか大好きだけど静かな所にもいたいという愛らしい性格です

生まれも育ちも茨城県で幼少期から訛りの激しい地域で過ごしたため、大学進学のため上京したときは、みんなから東北出身?と尋ねられ「なまり 治し方」と検索したのは言うまでもありません。
そんな私ですが上京して15年、いまやバイリンガルかと自分でも疑うぐらい標準語と茨城弁をキレイに使い分けています。もう茨城出身の面影は微塵も感じさせません。おそらく。

上京して進学した獨協大学では、映画研究会に入部しました。新歓コンパで、キレイな黒髪のお姉さんに「私の映画に出てくれない?」と言われ、よく考えずに入部を決めましたが、部室に行くとお姉さんの姿はどこにもなくアウトローな映画とアイドルを愛するオタク達の巣窟でした。あぁ、すぐに辞めてやるだろうなと思いましたが、いつしか自分も自主制作映画の魅力にはまり、学生映画に参加し、自分でも作品を創り、気がつけば副部長になっていました。

大学時代に撮った自分の映画はいまどこにあるんだろう。。自分の整理整頓の出来なさを嘆くばかりです。いまや、私の映像制作技術は友人の結婚式が近づいてくるとコストカットのために、超短納期で頼まれるプロフィールビデオや、サプライズビデオ制作に利用され、ソーシャルビジネスとして十分に活かされています。

また、大学では広告・マーケティング論の梶山皓ゼミを専攻し、毎回課題が出される大変なゼミでしたが、梶山先生とゼミのメンバー達との出会いが私の転機となり、企業の経営戦略やプロモーション手法などを真面目に学びました。それがきっかけで、自らも事業をやりたいと思うようになり、在学中に学生や地域イベントの撮影を企画し、多くの撮影をビジネスとして行いました。売上はそこそこ伸びましたが、編集が終わらず五日間で五時間しか寝れなかったときこれで食べていくのは無理だと判断しました。

卒業後は、株式会社ミスミに入社しデザイナーのための通販事業部ででソフトウェアのMDと販売企画を二年、プロカメラマンとの広告撮影事業で新規事業開発を二年半担当しました。現副社長の鈴木とは、同じ事業チームに所属し、共に切磋琢磨していたこともあります。
ミスミでは、社会人としての振る舞いや仕事の進め方を一から教えてもらいました。先輩に負けたくなくて生意気ばかり言う自分を見限ることなく、きちんと向き合いビジネスマンにまでしてれた先輩や上司には本当に感謝しています。なにせ、写真で見ての通り、研修にグラサンかけてくるようなヤツでしたのでw

ボーダレス・ジャパンには2008年に参画しました。今では田口社長をはじめ、鈴木副社長吉田照喜李成一らと前職の同期組が会社の年長組として頑張っています。

私の担当するクリエイティブ・デザインセンターは、WEBサイトを中心としたクリエイティブを横断的に改善すべく2015年1月に立ち上がりました。弊社のほとんどの事業がWEBからの集客を重視しており、お客様との接点となるWEBサイトは非常に重要な役割となります。また、スマートフォンをはじめあらゆるデバイスへの対応や、技術への対応にも注力しています。

クリエイティブ・デザインセンター(CDC)は、事業部の実現したい想いを、デザインのチカラで表現することでソーシャルビジネスを躍進させるエンジンブースターのような存在となります。そして、ボーダレスのクリエイティブの力があらゆる社会問題解決の一翼を担えるよう努力していきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。