
SDGsこと「Sustainable Development Goals(日本語訳:持続可能な開発目標)」。地球上の誰一人も取り残さず、持続可能な世界を実現するために、貧困・教育・エネルギーなどの17のゴールで構成されたこの国際目標について、前回の記事『「にわか」から始める、SDGsのススメ』ではボーダレス・ジャパンの田口一成さんに、ご自身の考えも含めながら解説してもらいました。
今回はその記事の後編。SDGsが始まった背景や、私たち一人ひとりにできることについて聞いてみました。
目次
※インタビュー日:2019年11月1日
未来の社会がどうなってもいいの? そんな市民の声がいい社会をつくるきっかけとなる
※出典:SDGsのロゴ・アイコン /国際連合広報センター
SDGsがトレンドになることが、行動への第一歩になるんだなと感じました。しかし今、この動きは多くの企業が取り入れるといった広がりをみせているのでしょうか?
SDGsのムーブメントが起こっている背景には、「人や環境、社会にきちんと配慮した会社しか応援しませんよ」というESG投資のような新たな社会的圧力があると思います。
イーエスジー?。
ESG投資は環境(Environment)・社会(Social)・企業統治(Governance)に配慮している企業への投資を指す言葉です。
投資家たちが動き出したから、こういう社会の流れになりつつあるのでしょうか?
ESG投資のような社会的圧力をあと押ししたのはやはり、市民の声だと思います。
具体的には、どういった声なのでしょうか?
例えば環境に悪影響を及ぼしている会社に投資をして、ますます環境が悪化したとします。そうすればその会社は、市民から環境への配慮をしなかった責任を必ず問われるでしょう。要は「経済界の皆さん、お金もうけのためなら何をしてもいいんですか?」と。
そんな声があがっているんですね! でもニュースとかでは見ないような……。
非買運動やバッシング、デモ活動がよく見られるのはやはり、市民が声を上げるという文化が根付いているヨーロッパやアメリカなので、日本ではあまり見かけないかもしれませんね。
日本ではなぜ、そういった市民の声があまり見かけられないのでしょうか?
おそらく歴史や文化と深くかかわりがあるからだと思います。
歴史や文化とのかかわりですか?
市民革命の歴史を持つヨーロッパやアメリカでは、「自分たちの手で社会をつくっていく」という意識をはぐくむ「シティズンシップ教育」が整っています。だから市民一人ひとりが、社会に対して積極的にかかわろうとするんです。一方日本で大切にされているのは、「道徳教育」ですよね。
言われてみれば、そうかも……。
「よりよい社会づくりは政治家の皆さんが考えてくれるだろうから、何も知らない私たちがあれこれ言うのは違う」という自制心をはぐくむ側面もあるんじゃないかなと。これが一種の同調圧力となり、声をあげることに消極的な姿勢をつくり出す一因にもなっているような気がしていて。もちろん道徳教育を否定しているのではありません。シティズンシップ教育も必要だということです。
▲日本の道徳の授業で使われている検定教科書。2018年から学校現場では道徳の特別教科化が始まっている。
また声をあげた人がいても、フォローする人が少ないことも、市民活動が発展しない理由の1つかな、と。声をあげている人を見て、「あの人激しいな」「ちょっとエキセントリックだな」と思ってしまう人もいると思います。
確かに私も「言っていることは分かる。でもそこまで強く言わなくても」と思った経験があります。
僕らにはきっと「公に人のことを批判することを是としない」道徳心が一種の美意識としてありますよね。それが市民の社会活動を抑制している部分もあるのかもしれません。
市民の声のあげ方のヒントは、親心にあり!?
SDGsの流れで、日本でも市民の考え方、シティズンシップが変わっていくのでしょうか?
SDGsも少なからず影響するとは思いますが、それよりも教育の変化が大きいかも知れません。
やはりここでも、教育なんですね!
先日僕の子どもの授業参観で感じたんですが、今の教育ってとても自由なんですよ。例えば帰りのホームルームに歌の時間があった人もいると思うんですが、昔だったらみんなで何か歌うことが当たり前だったと思います。僕が見たのは、歌いたい人は歌って、歌いたくない人は歌わない、中には踊っている子もいる光景でした。
※写真はイメージです。Photo by on photoAC
そんな学校も増えてきているんですか! 実は私、小学校の先生をしていたんですが、その頃から考えるとだいぶ進化している気がします。
もちろん学校運営の方針は校長先生しだいなので、学校によって異なるとは思います。ただ同調性を重んじる日本において、唯一市民の声がたくさんあがっているのが、学校現場なのではないかと。
学校現場における市民とは、保護者と子どもを指すのでしょうか?
そうですね。今回の話でいうと保護者がメインではありますが。
先生と保護者、家庭との関係性は変わったと言われることもありますもんね。
学校現場って昔は、先生が絶対的存在だったじゃないですか。僕も親からは「先生の言うことを聞きなさい」と言われて育ちましたし。しかし今は、自分の子どもに何かあれば親がすぐに飛んできます。以前はこのような親をよく「モンスターペアレンツ」と呼んでいましたが、最近ではあまり耳にしなくなったと思いませんか?
言われてみればそうかも……。
モンスターペアレンツも1クラスに1~2人だったら、めんどくさい人だと認識されてしまうことが多いでしょう。しかしたくさんの親が学校に対して声をあげるようになった今、もうモンスターペアレンツという言葉を耳にしなくなったわけです。つまり、親という市民の声が、学校現場を変える大きなきっかけとなっているのかなって。
たくさんの親が声をあげるようになったのはいいことだなと思う反面、学校や教師側から見たら正直、つらいんじゃないかなとも思います。
先生がたは、とても大変だと思います。だから親側も、先生や学校へのリスペクトを持ち、発言する必要はあるかと。ただ、多くの親は学校が変化することに期待と関心を寄せているからこそ、自分たちで声をあげていると思うんです。親が先生任せではなく、学校教育に参加している姿は、シティズンシップの側面から見るといい動きでもありますよね。
学校現場で起こっているシティズンシップ。これはどうすれば社会全体に広がっていくと思いますか。
子どもが学校で不当な扱いをされたら、親が学校へ意見を言うように、社会に悪影響を及ぼす活動をしている会社があったとしたら、その会社の問い合わせページから意見すればいいと思います。
企業の問い合わせページに、そこまでの影響力ってありますかね……?
もし同じ声が100通集まれば、その会社は必ず何かしらのアクションをとらざるをえないでしょう。会社がそのたくさんの声を無視したら、それを経営陣に報告している担当者はきっと「こんな不誠実な会社は嫌だ」と、いつか辞めるかもしれません。今はそういう内部からの圧力も、企業にはあります。
市民の意見を無視した結果、社内からも見放され、目的としていた利益すら手放すことにもなりそうですね。
社員は、会社がしているいいことも悪いことも、経営陣が思っている以上に見ています。実際に悪いことのリークの大半は、社内の人間から出てきますよね。最近ではSNSで炎上して発覚することもめずらしくありませんし。
※写真はイメージです。Photo by freestocks.org on Unsplash
私も、社会に対して悪影響を及ぼしている会社で働いていたとしたら、将来性を感じられずに辞めると思います。
社員の声も市民の声なんですよ。そこに耳を傾けず、表向き美しいパフォーマンスをしているだけでは、会社を成り立たせていくのは難しいと思います。だから、いち市民として企業に対して意見を送ることは決して無駄ではありません。その企業の中にいる社員という市民がその声をちゃんと拾ってくれるはずなので。
SDGsは、すべての人にとっての「自分ゴト」
これからの時代はやはり、きちんとSDGsをチェックリストとして真面目にやっている会社が支持されていくのでしょうか?
みんなに支持されるし、結果としてそういう会社こそが成長していくと思います。経済活動は、環境や人、社会などの資源なしでは成り立ちませんから。
経済活動にかかわる人すべてが、「資源あっての開発だ」としっかりと意識して行動すれば、社会はもちろん会社も成長していくと。
僕は、本当はSDGsの「D(ディベロップメント)」すらいらないのではと思っているんですよ。
「SDRs」に続く、言葉への切り込みですね! つまり田口さん的「SDGs」は「SRs」となりますね。
いつまでたっても「ディベロップメント=開発・成長しなければならない」という幻想にとらわれていては、それこそ資源がますます枯渇してしまいますから。資源を食いつぶす開発はやめて、今あるものでどうしていくかという考えにシフトする必要があると思います。
※写真はイメージです。Photo by veeterzy on Unsplash
確かに開発というと、資源をバンバン使うイメージがありますもんね。
ただ、ディベロップメントは必ずしも経済成長のことばかりを意味しているわけではありません。だからSDGsの「Development」を、「開発」ではなく、社会をよりよくしていく人類としての「進歩」と捉えてみてはどうかなと。「サステナブルな開発」ではなく、「サステナブルに進歩していこう」という感覚ですね。
「進歩」ですか?
そもそも「サステナブル(持続可能)」と「ディベロップメント(開発)」は矛盾しているんですよね。開発には資源が必要だと分かり切っているのに、それを守ろうという動きをしているのがSDGsなんです。
言われてみれば、矛盾していますね!
この矛盾があるから、SDGsの取り組みはどこかパフォーマンスになってしまいがちなのかもしれません。ディベロップメントを「進歩」と捉えれば、今の状況で何ができていて、何ができていないのかという軸で、自分たちの行動を見られますよね。
まさにSDGsを「チェックリスト」として活用する、ですね!
SDGsをゴールではなくチェックリストとして活用することが、SDGsを「自分ゴト」として考えるということだと、僕は思っています。
そういう取り組み方なら、個人単位でもできそうですよね。
個人でもできることはたくさんあります。例えば環境の項目なら、レジ袋をもらわない、マイボトルを持ち歩く、自宅で出た生ゴミは微生物の力で堆肥をつくるコンポストを活用するなど、「自分にできること」からチェックリストをつくってみるといいかもしれません。
SDGsも「知らないよりかはいい」とか「何かアクションをおこすことを楽しむ」くらいの気軽さで取り組み始めれば、その使いかたが見えてくる気がします。
SDGsというすばらしい目標を、社会全体でちゃんと活用できるようになったらいいですよね。僕は、全てのビジネスマン、経営者がSDGsというルールを守りながら経済活動を続けていければ、サステナブルな世界に一歩ずつ近づいていけると信じています。
まずは身近なできることから始める、SDGs
「エスディージーズ」ではなく「エスディージーエス」と読み間違っていたくらい、何も知らなかったSDGsのこと。どこか遠い世界の話のように感じていたこの国際目標は、事業活動をしている人はもちろん、この社会で生きるすべての人にとっての「自分ゴト」だと、田口さんの話を聞いて実感しました。
とはいえ17の目標の中には、今すぐ自分ゴトにできないこともあると思います。だから例えば「エネルギー」の項目では、会社や家の電力を自然エネルギーに変える、「つくる・つかう責任」の項目では、最終的にリサイクル可能な梱包資材を使うといったリストを設けてみる。このように17のゴールを身近なことに置き換えてリスト化し、できることから取り組んでみて、少しずつ「できた」のチェックを増やしていければいいのではないでしょうか。
前編記事はこちら⇒「にわか」から始める、SDGsのススメ【私もできる、SDGs(前編)】
インタビュー・執筆 / クリス
福岡在住のフリーライター。ボーダレス・ジャパンを4ヶ月で退職し、いまはパートナーとしてインタビューや執筆を手掛ける。愛猫“雛”をおなかに乗せソファに寝っ転がってアニメを見たりマンガを読んだりする時間が至福。仕事よりもこちらに時間を割きすぎる傾向があるが、やるべきことはやる。企業の採用コンテンツやブライダル、エンタメなどのメディアでも執筆。