
社会問題をビジネスで解決したい―そう思い、起業家の卵としてボーダレスに飛び込んだ新卒のメンバーたち。実際に入ってから起業するまで、そしてそのあとの道のりを赤裸々に語りました。
以下、2019年3月21日開催のイベント「【20代限定】起業を目指すあなたに贈る"社会問題の解決とビジネスを両立する方法"」から、文字起こし。
(前の記事:「 「何とかしたい」という思いを、ビジネスで形にする。新卒起業家4人の道のり」
司会(石川):中村さんは「もともと社会問題解決と思ってたのではなくて、(現場を)目の当たりにしてから解決したいと思った」ということですが、それで事業を始めるのは、けっこう大きなきっかけがあったんじゃないかなと思って。そのあたりを、もう少し詳しく教えてください。
目の当たりにした。だからやめたくなかった。
中村将人(以下、中村):本当に強く思ったのは、事業のタネを探してバングラを転々と探していた時ですね。工場で働く子ども、本当に5、6歳、下手したらそれもいっていない子もいて。目が虚ろな状態で働いているのを見て、何かできないかなと思ったのがきっかけです。
ちなみにボーダレスって、よくも悪くも放置なんですよ。あの当時はハニーレディをやってだめで次のタネを探していたときなんですけど、もし僕がやめるって言ったら、やめられたんですね。だから、俺がそこで絶対にやってやると思わなければやらなくてもいいっていう状況で。でも自分としては、それを見てしまったからやめたくない、むしろ燃えちゃったっていうのがきっかけです。
司会:クレさんは、なぜグアテマラの事業を始めたんですか?
呉原郁香(以下、呉原):学生時代にガーナのNGOで働いていたんですけども、そこで世界中の学生と毎日いろんな社会問題を議論していて、社会に対して何かしたいと思っていました。でも、実際にどんな問題があるのか自分の目で見て感じたことがなくて。学生時代にテレビで見たり授業で聞いたりしただけで、自分で感覚値として掴まないとだめだと思って、どんな問題があるのか、どんな人たちに向けて事業をするべきかと考えながら世界をまわっていたんですね。
南米の方に行きたかったので、スペイン語も勉強しようと思ってグアテマラに1ヶ月間滞在しました。そこでたまたまというか、日本人の社会起業家と出会って、SPANISIMOという、よくあるフィリピンの英語留学のスペイン語版みたいな感じなんですけど。そこで働いていて、グアテマラってすごく途上国なんですいけど明るいんですね。ラテンのノリというか。そういうグアテマラが好きになって、グアテマラの子供たちのために事業がしたいと思ってグアテマラに行きました。
司会:ともろうはなぜ難民、ミャンマーだったんですか?
犬井智朗(以下、犬井):僕は、学生のときにずっと難民キャンプにいて、休みのたびに毎回いくから難民キャンプの人みたいになっていて。そうすると、そばにいる人たちは自分の友達とか、友達以上に兄弟やおじさんおばさんみたいな、お父さんお母さんみたいな人がたくさんできたんですね。ただ、その人たちは生活に困ってる。この人たちになんかしたいなと思いました。
学生を卒業するころに何が起こったかというと、民主化です。ミャンマーは良くなっているからと、タイ政府が、(自国にいる)難民をみんなミャンマーに返そうという話になったんですね。そのニュースをみたときにやばいなと。ちょうど難民キャンプで生活をしていたときなんですけど、となりにいた人が号泣し始めたんです。こんなことになって、私の家族はミャンマーに帰っても生活できないって。ミャンマーに帰ったときに家もない、土地もない、仕事もないって、間違いなく困るなと。それはなんとかしないといけないと思いました。
廣瀬智之(以下、廣瀬):最初は報道の仕事をやりたいと言っていたんですけど、もともと僕もカンボジアでソーシャルビジネスのようなことをしていました。タイダイ染め(服を染める)をやっていて、それを販売しようとしていたんですね。そこでぶち当たったのが認知の壁というか、社会問題は全然伝わってないということでした。僕は伝えることが好きなので、自分はフォトジャーナリストに向いていると思って、学生の間いろんな国で取材して発信をやっていました。
でも、その中で与えられた影響ってどのくらいあるんやろうと思ったその瞬間に「発信者って自分以外にもめちゃくちゃいるな」と思ったんですね。自分より発信力高い人もたくさんいるのに、これが伝わって解決に向かっているんだろうか、ホンマに自分はこのまま発信を続けていて良いのかなって思ったんですよ。
それから海外の事例を見て、社会問題や政治の問題は日本ではあんまり身近じゃない、それに対して日常的に取り組んでいる人も少ないって知った時に、受け手にアプローチする人も社会に必要だと思って、ジャーナリストから起業家を目指すようになりました。
司会:ちなみに、皆さんは入る前から、何かしらの形で起業はしようと思ってたんですか?
(スピーカー全員手を挙げる)
司会:例えばクレさんは(学生時代に)国連でも働いていて、ビジネスではない解決の方法もあると感じたと思うんですけど、なぜビジネスで解決しようと思ったんですか?
社会問題を解決するなら、持続性を大切にしたい
呉原:国際協力というところでNGOやNPO、国連、半年ずつぐらい働いていたんですけど、一番のきっかけはウクライナの国連機関で4年前に働いていたときです。
私はウクライナのクリミア半島にいたんですが、そこでロシアの介入があって、政治的な問題で、私が携わっていたプロジェクトが継続できなくなってしまったんですね。いわゆるドナーがEUにあって、ロシアとの関係性の問題で。やりたいのに政治的な問題でできなくて、ステークホルダーとしていろんな立ち位置はあるんですけど、私は政府機関ではなくビジネスで解決したいと思いました。NPONGOではファンドレイジング(資金集め)をやっていました。やっぱりそこにすごく大きな壁を感じて、持続性とか。例えば今年はジェンダーの問題にフォーカスしています、でも来年は障害者雇用ですってなったときに、私が働いていていたNGOというのはその政府の方針によって移動していくんですよね。それって一貫性がないなと違和感を感じて、自分は向いていないと思ったのでビジネスを使って解決したいと思いました。
司会:社会問題解決というと、クレさんが経験してきたような行政的なアプローチ、それからNPONGO的なものと色々あると思うんですけど、あくまで私たちがやっているビジネスは手段の1つということで、できることもできないこともあるかなと思います。
ちなみにこの中で、唯一新卒で入ってそのまま立ち上げたのがトモなんですけど、ビジネスが全然わからない中で起業することに不安はなかったんですか?
自分ひとりでやるより、先輩がいる環境で自分を高めたかった
廣瀬:不安がなかったかっていうと嘘というか、普通に不安はありますよね。でもやりたいんだったらやるしかないから、そこは自分が頑張ったらなんとかなるなって自信は一方であったので。まず自分ひとりでやるよりは、先陣切ってやっている皆さんがいる環境で自分を高めながらできるのが魅力だったので、入りました。
司会:次のテーマは事業づくりのプロセスなんですが、中村さんに聞きたいと思います。バングラデシュで色んな事業をつくって今はSunday Morning Factory(以下、サンモニ)ですが、そこまでのプロセスってどんな流れだったんですか?最初からそのプランでいけたわけではないですよね?
中村:そうですね。1番最初にタネをもって入ったのはハニーレディっていう、養蜂ビジネスでした。事前調査してバングラに行って、お母さんたちが対象だったので、家にいるだけで蜜がとれる養蜂のモデルにしたんですね。蜂は勝手に蜜をとってきて働いてくれるはずで、それを採取して売るなら簡単でいいねとなったんですけど、蜂が働かないんですね。オイオイオイって(笑)。なぜか俺のパートナーのファルクさんが蜂蜜を集めにいくみたいな話になっちゃって、仮説も何もなくなってやめたんです。
そのあとも転々と、トイボーイだったりパン屋だったりスタディツアーやったり、あの手この手で色々もがいていました。
過去の失敗を活かして、今のブランドに
中村:その中で今にいたったのは、同じ時期に始まったビジネスレザーファクトリーもそうですけど、やっぱり国や文化などの強みを生かすのが大切だと分かったことです。
バングラデシュは革・アパレルが強い土壌があって、僕はアパレルを選びました。ちなみに、なぜ(前進のプランドの)CORVaはだめで、今のHaruulalaというブランドは良いのかということに簡単に触れると。同じアパレルで全く違うのは、ベビー服の良いところで、まずシーズンがない。いま着ている服はトレンドがありますよね。それがない。だから、いま始めて2年ですけど、2年間で同じものを売っています。だから技術がどんどん上がっていきます。
僕たちは出産祝いに特化しているのでセールをしない。価格が落ちなくて、むしろ技術がどんどん高くなって投資もできるから、価格を上げていけるのがいいなと思っています。こういうところが、過去の子供服から失敗を経験して今があって、良くなった点かなと。やりながら壁に当たっては越え、当たっては越えて今にいたります。
司会:もう少し掘り下げたいんですけど、CORVaを3年弱やっていて、店舗も代官山とか色々出した中で撤退になった一番の原因は何だったんですか?
何のインパクトを出せているのかが、分からなくなった
中村:利益が上がらないってことですね。アパレルは原価が勝負なんですよ。そのときにたったの5店舗やECでちょっと売れていても、やっぱりコストの方が高くなる。だから首が回らなくなったというのが大きいところです。事業としてブランドとして、人気はあったんですけどそこまでってところでした。もう1つ挙げると、雇用が増えなかったんですよ。トレンドを追いかけるから、バングラデシュの工場のメンバーが、3年間やって8人のままだったんです。安定するまでは中国中心に生産していて、全然バングラの雇用に繋がってないじゃんって。仮にブランドが上手くいっていたとしても、これはどのぐらいのインパクト(雇用)があるの?って思いました。
司会:今のサンモニで働いているのは何人でしたっけ?
中村:いまは60人ですね。スタートから2年で。
司会:今のブランドがうまくいっている理由は何ですか?アパレルという業界は一緒だと思うんですけど。
中村:マーケティングのところで言うと、1つは「どニッチ」ですね。出産祝いに特化したブランドっていうのはやっぱりあまりないし、そこに向けて作っているので、出産祝いを探している人に「いいね」と思ってもらえる確率が高いのが1つ言えるんじゃないかなと。
司会:ありがとうございます。ボーダレスでは23事業色々やっているんですけど、わりとニッチなところに突っ込むブランドが多い印象を持っていて。例えばハーブティも普通のハーブティではなくて、妊娠中・授乳中のお母さんに向けたハーブティという、すごくマイナーなものなんですよね。その中でしっかり市場をとっていくことができていているからこそ、今があるのかなと思います。
もう1人、トモにも今のニュースアプリになるまでのプロセスを教えてもらえたらと思います。
廣瀬:最初に自分がやりたかったのは教育モデルなんですよね。「社会問題は未認知」と言ったんですけど、もともとは「社会問題に無関心」だと思ってたんですよ。だから、関心を持たせるには強制力のあるところで何かしないと、学校を出て自分の好きなものだけ選ぶようになったときに、そこでいくら社会問題を伝えても興味ない人には届かないなと思ったんで。やっぱりこれは教育に入るしかないということで、教育モデルを作ろうと動いていました。
実際それを進めていって、モデル的にもなかなか収益を挙げるのが難しかったのはあるんですけど、アプリになった本質的なところは、(教育モデルは)スピード感がやっぱり遅いというのがあったんですね。教育は公的機関なので、そこを巻き込んでいくのも大事なんですけど、自分は50年とかのスパンでこの問題をみていなくて。いち早くこの問題を解決しないとこの社会はやばいなと思っているんで、自分の求めるスピード感に合っていないなと思ったのが1つ。
もう1つが、自分のアイデア不足もあったと思うんですけど、どうしても収益性が小さくなってしまうので、結局インパクトをどのくらい生めるのかが疑問だったんですよ。それがアプリだったら、たとえばスマートニュースをダウンロードしている人って1,000万人を超えているんですよね。上手くいけば1,000万人に届けられる。果たして教育というのは1,000万人に届かせようとするとどのくらい時間がかかるんだろうと考えた時に、自分が解決したいスピード感と与えたいインパクトとしては、あんまりあっていないんじゃないかなというのがありました。
なおかつ、やっている人っているんですよね。教育。ソーシャルビジネスならではなのかもしれないですけど、やってくれている人がいるなら任せようという考えで、足りていないところに自分は行きたいっていうことで教育から、まあその間に色々映画事業とかクーポン事業とかあったんですけど、最終的にはアプリ事業になった感じです。
司会:アプリが一番いいなというか、そこでGOしようっていうのには、何が決め手だったんですか?
廣瀬:決め手は、スピード感が一番あったこと。たしかに全然関心ないわという人はいると思うんですけど、一方でいろんな人の話を聞く中で、これは無関心というよりは、自分の意見を持っていない人が多いぞってことが分かった時に、アプリで意見をもつ習慣をつくることがいちばんのソリューションだと明確に思いました。
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■スピーカー
Sunday Morning Favtory
代表取締役社長 中村将人
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ボーダレスグアテマラ
代表取締役社長 呉原郁香
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BORDERLESS LINK
代表取締役社長 犬井智朗
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Tomoshi Bito
代表取締役社長 廣瀬智之
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■このイベントの連載記事
「【20代限定】起業を目指すあなたに贈る"社会問題の解決とビジネスを両立する方法"」
(2019年3月21日(木)開催 / イベント詳細)
(1)「何とかしたい」という思いを、ビジネスで形にする。新卒起業家4人の道のり
(2)何のインパクトを出せているかが分からなくなったら、事業は続けられない(この記事)
(3)グループ創業者は同僚?!新卒起業家が明かす意外な関係性
(4)行政でも非営利組織でもビジネスでもない、ソーシャルビジネスならではの難しさ