
ボーダレスグループには、社会問題の解決を目指して起業した社会起業家だけではなく、彼らとともに事業をつくるスペシャリストも集まっています。ここに来た理由は「社会貢献に携わりたい」「新しいことに挑戦したい」「自分のビジネス力を試したい」など様々。この「シゴトファイル」では、そんなスペシャリストたちに、働き方や仕事のスタンスをインタビューしています。
第6弾となる今回は、多国籍コミュニティシェアハウスを運営するボーダレスハウスより古谷優佳(ふるやゆうか)のインタビューです。現在、ボーダレスハウス関西の統括マネージャーをする彼女のシゴト観やこの先のこと、じっくり聞いてきました。
—古谷さんは福岡のご出身。ボーダレスに入社する前は、大手リゾート開発グループが運営する旅館でサービス業に従事されていたと聞きました。まったく違う分野からの転身ですね。
「約3年間、熊本・阿蘇の旅館で働いていました。業界の中でも運営スタイルが独特な会社で、観光資源にスポットを当て地方へ観光客を呼ぶムーブメントを起こそうとしていたんです。当時それをすごく斬新に感じ、“価値を新たに生み出す”仕事に携わりたい!そう考えて入社しました。」
—では、サービス業をしたくて入社、というわけではなかったのですか?
「そうですね。接客サービスは好きですが、私が働くうえで一番重視したかったポイントは“組織文化”が自分に合っているかどうか。“各々がベンチャーマインドをもって仕事に取り組む” “社歴に関係なくフラットな立場で意見を言い合う” そんな社風に惹かれて入社しました。社会人としての基礎を築いたこの3年はとても充実した期間でした。なかでも、色んな年齢や境遇のスタッフがいるなか、全員が想いを合わせないと顧客満足度は上がらないこと、そのためにお互いの理解を深めるには根気強くコミュニケーションを続けていくことが大切なんだということを学びました。」
自分のこれまで、を棚卸しするとやりたいことが見えてきた
—25歳の時、周りがプロのサービスマンを目指すなか、『ずっとここで働きたい?』と自問自答の末、退職を決意した古谷さん。その先の道は見えていなかったそうですが、なかなか思い切りましたね。
「その時、心にあったのは“もっと違う目線から自分を見つめなおしたい”という想い。自分の可能性を拡げたい、もっと成長したい、と福岡で派遣社員をしながら転職活動を行うことにしたんです。」
—「わたしの本当にやりたいことって何…?」と考えていくうちに、学生時代にボランティアをした経験から、今後の道についてある考えが湧いてきたといいます。
「学生時代、NPOの活動の一環で発展途上国や東日本大震災のボランティア活動を行っていて、渡航先や被災地での状況から一次的なボランティアではなく、時間をかけて継続していかねば根本的な解決にはならないと痛感しました。でも、仕事とボランティアを両立させるのは難しいと歯がゆい思いをしていたんです。その経験から『何か社会に役立つことを仕事にできれば』と、漠然と思うようになっていました。
そんなある日、何気なく見ていたSNSの投稿に思わず身を乗り出したんです。」
—それがボーダレスとの出会いだったんですね。どんな印象を持ちましたか?
「社会問題を“ビジネス”で解決するための会社?こんな会社が日本にあるの?…とにかく衝撃的でした。ホームページを隅から隅まで読み、理想としていた会社だ!って(笑)。それからボーダレスがどんな会社なんだろう、と興味が湧き、福岡にあるビジネスレザーファクトリーの店舗に行ってみたこともあります。貧困をクローズアップするのではなく、バングラデシュで作り上げる“商品力”に自信をもった接客をしていることに好感をもちました。」
「その後、ボーダレスグループで働いている人と話をしたいと思って、共通の知人を介し知り合うことができたんです。ざっくばらんにいろんな話を聞き、その時に、大変なエピソードも含めボーダレスの組織文化が自分に合っているな、と感じたんですよね。『ボーダレスでは皆それぞれが“実現したいこと”を持っている』と聞き、ぐっときました。そんな場所で働きたい!と自分のスイッチが入ったのを覚えています。それからは“ボーダレスでわたしが実現したいこと”を考えながら準備をしました。」
ボーダレスでわたしがやりたいこと、とは?
—そうしてボーダレスグループの多くの事業のなかでも“ボーダレスハウス”の面接をうけたのは、なぜですか?
「学生時代の国際交流の経験が大きいです。思えば学生時代も就職後も“場”をつくりだすことにやりがいを感じていました。人と人のつながりを生み、集う人の温度感や、想いをうまく合わせながら、皆に心地よく過ごしてもらう—そこに自分の役割を見出していたように思います。そんなわたしのやりたいことにピッタリだと感じた事業が“ボーダレスハウス”だったんです。『個人同士の信頼関係を築くことで可能性を拡げていく。そんな場(拠点)を作りたい―ここでなら、自分の経験を活かしてやりたいことが実現できそう!』その直感を信じ、面接に向かいました。代表の李さんにはじめて会ったその日に、気づけば『ボーダレスハウスの福岡拠点を作りたい』と宣言していましたね(笑)」
韓国・台湾・東京メンバーと。台湾での会議で
“人生の選択”を一緒に考える仕事
—現在は、ボーダレスハウス関西のハウスマネージャーとして、入居時のお問い合わせ対応から管理までを行う古谷さん。“福岡拠点をつくる”という目標に向かって日々前進しています。普段の業務の中で大切にしていることはありますか?
「入居者の皆さんとは昔の寮母さん、みたいなアットホームな関係を築きたいなと思っています。特に、入居時のはじめのアクション“お問い合わせ対応”では、新人の頃に先輩から聞いた言葉を大切にしているんです。それは、
『入居者さんからのお問い合わせ対応って、イコール人生相談なんだよ』
というもの。
ボーダレスハウスが“暮らし”を作る場所になる。それってつまり、その方の人生そのものに大きく関わることなんだ—そう感じてからというもの、入居者さんの人生にとってボーダレスハウスという場所にいることが合っているのか、しっかりカウンセリングし、コンセプトにマッチするのかその方のためにも見極めないといけないと思ってやっています。」
大阪・玉造ハウスの皆さん
—福岡拠点をつくるには、まだまだ経験もスキルも足りない…数字が苦手なんです、と話す古谷さん。失敗も次へのステップに変え、前向きに取り組む彼女に今後のビジョンを聞いてみました。
「目標としていた地方進出を“2019年10月にやろう”と決めてみたんです。すると、そのためにやることが見えてきました。まずは関西の拠点をもっと盛り上げ、人材育成とオペレーションを固めること。ボーダレスハウスの中で新拠点展開の足掛かりをつくるのはわたしなんだ、と肝に銘じ、仕掛けを作っていきます!」
—中途入社した古谷さんから見る、ボーダレスに向いている人ってどんな人だと思いますか?
「社会課題を解決することに仕事として取り組みたい方。そして最終的に社会や周りの人に何か“残したいもの”がある方、ですかね…今でも思い出すんですよね、学生時代にボランティアで活動していた方々のこと。あの“力になりたい”って想いをカタチにできる会社でありたいし、そんな事業を創っていきたいんですよね。」
—インタビューの終わりに、今の仕事で一番やりがいを感じていることを聞いてみました。
「入居者さん同士の温かいつながりを作り出すことができることがこの仕事の醍醐味です。ここで出会い、仲良くなった友達の国を次の留学先にする方もいます。ここでの出会いには、その人の人生を変えるきっかけがたくさん。視野が広がり、その人の可能性がどんどん広がっていく、そんな場面に立ち会える仕事なんてなかなかない。ボーダレスハウスを中心として、入居者さんたちがそんな繋がりを築けていけるって、なんて素敵なことだろうって、思うんですよね。」
— 一度立ち止まった彼女がやりたいことを実現するため、いつもしていたこと。それは、はっきり道が見えていなくても、なりたい自分を思い描き、そのためにいつも『前を向いて動いていた』こと。
迷いのない言葉で受け答えをするその視線の先にはもう、目標のずっと先までを思い描いているようでした。
インタビュー連載―シゴトファイル
Vol.5 作内大輔(バックアップオフィス)の場合。
ボーダレスの成長とともに歩んだ10年。僕だからできること、をもっと。
Vol.4 寺師悠(AMOMA)の場合。
伝えたいのは、わたしの仕事の先にあるもの
Vol.3 加藤千穂(ビジネスレザーファクトリー)の場合。
特別なスキルはいらない。信じたのは「わたしらしさ」
Vol.2 呉原祐香(ビジネスレザーファクトリー)の場合。
未経験の仕事に挑戦してみつけた、自分のスペシャリティ
Vol.1 金子健一(ビジネスレザーファクトリー)の場合。
「ソーシャルビジネスなんて意識高い」と思っていた広告マンが、ボーダレスで働く理由
▽あなたのチカラを、ソーシャルビジネスに活かしてみませんか?
・マーケティングディレクターとして新規事業をバックアップする
・ボーダレスグループ中途採用「私たちの採用に"募集要項」"はありません