
ボーダレスグループには、社会問題の解決を目指して起業した社会起業家だけではなく、彼らとともに事業をつくるスペシャリストも集まっています。ここに来た理由は「社会貢献に携わりたい」「新しいことに挑戦したい」「自分のビジネス力を試したい」など様々。この「シゴトファイル」では、そんなスペシャリストたちに、働き方や仕事のスタンスをインタビューしています。
第5弾となる今回は、代表の田口、鈴木とはもともと前職で同期入社、ボーダレス社内で実は“ベテラン”、作内大輔をご紹介。
新規事業の立ち上げ時にはもちろんのこと、グループの大事な局面には必ず登場する、まさにボーダレスのキーマン“マーケティングディレクター”。そのアイデア力、分析力はいったいどこから?彼のたどってきた道を深堀りしていくと、アイデアの裏に隠されたひらめきの根拠や、データの裏側まで読む分析力には理由があることがわかってきました。
—新卒で前職に入社したきっかけを教えてください。
「前職は株式会社ミスミです。なぜ入ったかというと、大学の授業で経営学をとっていて、その中で出てきたんですよ。当時の採用キャッチコピーが強烈に印象に残っていて、いまだに覚えています。『経営者を目指すもの、この指とまれ』っていう…とにかくビジネスモデルがユニークで有名な会社だったんですよね。」
—では、学生時代は経営者を目指していたんですね?
「そうですね。起業したかったんです。大学では“映画研究会”に入っていて、大学4年のときにはイベント撮影を受託して、映像を編集、納品する制作会社じみたことをやっていたんです。でも、やっぱり素人。これで食べていくのは難しいな、と思いました。その中で学んだのは、一人で起業するにはある程度の経験が必要だなってこと。カチッとしたビジネスの知識を現場で学んで力をつけてからでないと無理だ、ということでした。」
—そうして入社したミスミではどんなことをされていたんですか?
「業務内容が幅広くて、企画から販売までいろいろ経験させてもらいました。カタログ通販の会社ですが、プロジェクトを少ない人数で進めるんです。だから、自分で商品の企画をして、メーカーに交渉して、仕入れて、値付けをして、販売するまで。社員一人ずつに与えられる権限も大きくて、数億円とかね…。売上を上げるも下げるも自分次第。そういう意味では、川上(かわかみ)から川下(かわしも)まで、経営の流れを全部見れるってことがやりがいでしたね。」
(入社時の1枚。左より2番目が田口、吉田、作内)
「それ、ボーダレスでやればいいじゃん」
—そうして5年が過ぎたころ。同期の田口さん…が立ち上げた会社「ボーダレス・ジャパン」になぜ、作内さんがジョインすることになったんですか?
「田口・鈴木は同期だし、『どんなことやってんだろ』って遊びにいくような軽い気持ちで会社を見に行ったんです。久々に会った2人は『毎月赤字で大変でさ~』って…(笑) でもそんな話をしながらも、なんだか楽しそうに見えたんです。その時、会社を辞めようと考えていた時期で、自分のチカラを試してみたいな、この先どうしようかなって、迷ってたんですよ。だから、そんな相談を2人にしてみたんですよね。そしたら田口が一言、こう言ったんです。」
「それ、ボーダレスでやればいいじゃん。」
—なんともボス(田口)らしい!発言ですね…!
「そう(笑)。いやいやいや!お前の会社は赤字だろ、いま採用する余裕なんかないはず…って思ったけど、2人の顔は真剣で。田口が『自分で起業するんじゃなく、この“会社”をつかって作ちゃん(作内さん)がやりたい事業を形にしたらいいじゃん。』って。」
—もともと2人(田口・鈴木)を“異質”と感じていたそう。『この2人と一緒だときっと、楽しいことになるぞ』そんな予感を信じ、『じゃあ、入ろう!』と決めたのは、作内さんが28歳のときのことでした。
「“ボーダレスの中でいつか自分が起業できるかも”それをメリットに感じていました。そうして入社すぐボーダレスハウスに配属され、当時していた不動産仲介が赤字だったこともあり、『一旦この事業をなんとか立て直さねば』と動き回りましたね。任されたのはWEBプロモーション。“お客様をどうやって集めてくるか”から取り組みました。」
—WEBプロモーションは前職からの得意分野だったんですか?
「いや、全然そんなことはなくて。前職では業務のひとつとして取り組んでただけ。でも、この時からプロモーションが好きだったんですよね。僕自身、感覚的な人間なので、アイデアが先にポンポンでてくる性分なんです。お客さん目線に立って考えるのが好きだし。0から1を生むことにやりがいを感じてきましたからね。自分の知識で足りない分はひたすら勉強してカバーする毎日でした。」
—そうしてWEBプロモーションを追求していき、社内で『作内=WEBプロモ―ション』という位置づけができてきたころ、妊産婦向けハーブティー事業AMOMAに異動となります。マーケティングのしくみづくりに奔走するなか、プライベートでは2011年にパパに。それは作内さんにとって、初めての“仕事とプライベートがリンクする経験”だったとか。
「AMOMAではWEBプロモーションに加え、マーケティングも担当していて、お客様をWEBページに集めて購入していただくまでの企画やデザイン設計をしていました。それがちょうど、妻の妊娠、出産、授乳期のタイミングと重なって。“ターゲットとなるお客様が今、まさに目の前にいる”という状況でした。もともと妻はインターネットで買い物しない、ハーブティーも飲まない(笑) そんな妻をどうやったら振り向かせられるのか―初めて“自分ゴト化”して考え抜いた経験でした。」
(いまでは2児のパパ。ボーダレスのパパ育児特休を利用しながら、家族との時間を大切にしています)
社長失敗から見えた、自分の強みと生かせる立ち位置
—そうして2013年。33歳の時、事業社長の経験をされたんですね。
「オーダーメイドの革製品ブランドJOGGOで、事業社長を経験しました。トップとして事業をつくる日々は、すっごくエキサイティングだったですね。何もない状態からブランドを作り上げるプロセスを経験できる。それはそれは、やり甲斐が大きかったですよ。そんな日々でも一番大変だったのは、『日々のオペレーションと戦略立てのバランス』。オペレーションというのは、ご注文をいただいてから、商品がお客様の手に届くまでの流れや組織マネジメント、品質管理など社内を考えていくこと。でも事業社長は、それでいっぱいいっぱいになっちゃいけないんですよね。そのなかでもしっかり“戦略”を立てていかなきゃならない。
戦略を作って、チームを引っ張っていくのが社長なはずなのに、オペレーションに追われ、戦略を深く考えられない…と悩む日々。『この事業を通してどうなりたいか』がいつしか漠然としたものになっていっていました。」
「そんなときボスとも話しながら、今後の自分の働きかたに向けてひとつの結論を出したんです。それは『アツい情熱を持つ社長たちの事業を横断して支えていく、プロフェッショナルになる』という方向性でした」
僕にしか作れない、頑丈な船を。
“バディ”として膝を突き合わせた日々
—新しい方向性で再出発した作内さん。2017年、ボーダレスキャリアの立ち上げに際し、ボーダレス初のバディに就任します。そもそもバディ制度とはどんなものだったのですか?
「いわば“船を作る”仕事ですね。社長が思いっきり漕ぐだけでグングン進むことができるように、マーケティング側の企画を考え、設計し、乗れる状態を作るんです。そして一定の結果がでるようになるまで、事業社長と二人三脚、専属で事業を創る。そんなバディ制度の第一号が“ボーダレスキャリア”の高橋大和を支える僕だった、というわけです。」
―事業をスタートするとき、バディがマーケティング企画やWEBの立ち上げなどを請け負うことで、社長は組織づくりやオペレーション(営業や商品開発など)に集中できる。事業社長の経験がある作内さんが側で支えるって心強いですよね。
「意外なことに、起業をしたばかりの社長は戦略のことを考えられないんです。考えられないというより、考える時間が無いんですよね。だからバディは、社長が気づかない視点での企画やアイデア出しをはじめ、プロとして社長が迷わない道筋を明示することで導いていくんです。社長には『社会問題を必ず解決してやるんだ』という誰にも負けない情熱と、高いモチベーションが人一倍あって、その様子を見ていると、この名もなき社会起業家を成功させてやりたいと心から思えてきて、そのために自分も頑張れる。すごくやり甲斐を感じていました。」
(写真左は、本音でぶつかり合い二人三脚で歩んできた、高橋大和)
—バディをしていて大変だったことはどんなことですか?
「事業をしていると段々と“客観的”に見ることが難しくなるんです。お客様の立場からすると、やっぱり素敵じゃないものや魅力が届かないものは売れないんです。どんな時でも50パーセントは外部からの視点で捉えなきゃいけない。だから、事業に対して、社長と一緒にどれほど情を込めて育てても“入りすぎないこと”。しっかりチャンネルを切り替えることが、難しいことでもありました。」
―その後、今では事業を横断しボーダレスグループのマーケティングの要となる『マーケティングディレクター』に。その仕事内容と、最後に作内さんが今後やってきたいこと、教えてください。
「マーケティングディレクターとは、新規事業と既存事業のマーケティング企画の立案やWEBサイトの制作全体を主導する仕事です。入社して今年で10年。ボーダレスの成長とともに歩いてきた経験を活かしながら、今後は、WEB中心のマーケティングディレクションだけでなく、実店舗や営業所などのオフライン集客を絡めるO2Oマーケティング(online to offline)ができるよう学びたいと思っています。そうして自分のチャンネルを増やしながら、社長たちが集中して事業を進めていけるようしっかりと支えていき、事業拡大のチカラとなっていきたいですね」
—ボーダレスグループでは現在、年間10を超える事業がうまれています。その速い流れの中で10年、成功と失敗のケースを見てきた彼だからこそ。ビジネスモデルに始まる事業のしくみ(ハード)も、事業社長の想い(ソフト)にも、見えてくるもの、気付ける気持ちがあります。
いつか目指した、“事業を横断して支える、真のプロフェッショナル”
自分の経験や学びを、惜しみなく新事業に活かし結果につなげていく―そうすることで社会問題の解決を支えるチカラになれる。
インタビューを終え、これからボーダレスで生まれるたくさんの事業の道すじがすっと明るくなっていく気がしてきました。
インタビュー連載―シゴトファイル
Vol.4 寺師悠(AMOMA)の場合。
伝えたいのは、わたしの仕事の先にあるもの
Vol.3 加藤千穂(ビジネスレザーファクトリー)の場合。
特別なスキルはいらない。信じたのは「わたしらしさ」
Vol.2 呉原祐香(ビジネスレザーファクトリー)の場合。
未経験の仕事に挑戦してみつけた、自分のスペシャリティ
Vol.1 金子健一(ビジネスレザーファクトリー)の場合。
「ソーシャルビジネスなんて意識高い」と思っていた広告マンが、ボーダレスで働く理由
▽あなたのチカラを、ソーシャルビジネスに活かしてみませんか?
・マーケティングディレクターとして新規事業をバックアップする
・ボーダレスグループ中途採用「私たちの採用に"募集要項」"はありません