就職、進学、独立―。数ある進路の中から社会起業家への道を選んだ人が、毎年ボーダレス・ジャパンに集う。2018年4月に新卒で入社予定のメンバーに、この道を選んだ理由を聞いた。

9人目は、那須 映里さん。「ベトナムの聴覚障害者が生き生きと働ける場をつくりたい」と意気込む彼女は、どんな経験を経てソーシャルビジネスの立ち上げを決め、これから何をしたいと考えているのだろうか。
(聞き手 / ボーダレス・ジャパン 新卒採用担当:石川)

「耳が聞こえない」だけで労働の機会と給与を得られないベトナムの現状

―最初に、那須さんがやりたいことについて教えてください。

那須:私は、ベトナムの聴覚障害者が「健常者と対等に雇用の機会と給与を得られない問題」を解決したいと思っています。

ベトナムでは年々物価が上昇していて、平均給与の額も上がり続けています。月300USD以上の給与をもらっている健常者が大多数を占める中、ベトナムの聴覚障害者の平均給与は、たった150~200USDなんです。これも昇給した額で、スタート時は50~150USDしかもらえません。本人たちは、「250USDで充分な生活ができる」と喜んでいるくらいですね。

私が出会ってきた現地のろう者は「月500USD以上の給与をもらっている聴覚障害者・ろう者はいない」と口を揃えて言います。

このように「耳が聞こえない」だけで、対等な労働の機会と給与を得られない状況があります。

彼らには行動力があり、きちんと仕事をこなす力もある。でもベトナム社会では彼らの持っている力は見られず、「障害者だから働けない、低賃金でいいだろう」と見なされています。また、労働の内容も簡単な作業に限られてしまいます。

この状況を変えるために、聴覚障害者・ろう者が自立できるような給料を得て、健常者と対等に、生きがいを感じながら働けるような場を作ろうと考えています。

―そう思うようになった経緯を教えてください。

那須:大学1年生の時からファストフード店でアルバイトをしていました。聴覚障害を持つろう者の私に優しくしてくれたのは、ネパールやベトナムから来日して働くアルバイトスタッフの方々でした。

「耳が聞こえないから気を付けて、そこは危ないよ」と、身振りで伝えてくれたり、音の存在を教えてくれたり。英語での筆談や身振りを使って話していくうちに、彼らがどうして日本に来たのかを教えてくれるようになりました。

ある方は、経済的に苦しい家族のために日本に来て、自分はここでの給料を国に送金していると言っていました。テレビでよく見かけるような出来事が、自分の近くにいる人にも起こっているということが衝撃的でしたね。

遠い国の出来事だと思っていた自分が恥ずかしくなったのと同時に、社会問題は身近なところに存在していることを改めて実感しました。

また、仕事の中でパートナーになることの多かった女性がベトナムの方で、ぜひ自分の故郷を見てほしいということを言われて、軽い気持ちで行くことを決めました。それまでは、旅行ではヨーロッパに行きたいと思っていたんです(笑)。

でも、その時ベトナムに行ったおかげで社会問題に関心を強く持つようになったので、彼女には本当に感謝しています。それからは目覚めたかのように、タイ・ラオス・カンボジアなど周辺の国を巡りました。各国で現地の方と交流することで、東南アジアのろう者が抱える社会問題を目の当たりにしました。

ベトナムを深く知り、伝えようとした大学生活を経て

―大学生活で特に印象に残っていることは何ですか?

那須:大学2年生の冬に初めてベトナムに行った時には、現地のろう者を紹介してもらい、5日間を一緒に過ごしました。

観光案内をしてもらったり、カフェでろうクラブ(ろう者が交流・講演を行い、権利活動を展開する場)の役員の方たちと意見交換をしたりしました。自分が使ってきたものとは全く違う手話言語での会話でお互いにコミュニケーションを取ろうと頑張った5日間でしたが、ここでの体験が人生の大きなターニングポイントになったと思います。

この時の会話で「観光客が好むような小ぎれいなレストランはろう者の給与ではなかなか行けない」こと、「高等教育を受けたのに仕事が見つからない、何度お願いして回っても就職できない」ことなど、現地のろう者の実情を初めて知りました。

それからはベトナム縦断など、渡航を重ねてろう教育の現場を見学することで、現状を知ろうとしました。また、ろうクラブやろう学校での講演を開き、日本のことを伝えるなど現地と密な関係を持つようにしてきました。友人を連れてスタディツアーを企画するなど、ベトナムのことをもっと知ってもらうように動いてきましたね。

私が所属している全日本ろう学生懇談会の、今年の海外研修先がベトナムに決まったので、副会長として団体を引率するとともに、この機会を使ってもっと現地のろう者に還元するような内容にしたいなと考えています。

障害者枠での就活をやめ、社会起業家の道へ

―ボーダレス・ジャパンはどうやって知ったんですか?

那須:知ったのは就活を始めてからです。ベトナムの問題を解決したい!という情熱は持ちつつも、最初はいわゆる「障害者枠」での就職活動を進めていました。

日本の障害者枠での採用は、事務職が多いです。私は事務職ではなく、営業・企画職を志望していたのですが、どこも厳しいと言われました。そしてある合同説明会に参加した後に「このまま自分の興味のない事務職に就いて後悔はないのだろうか」と、ふと思ったんですね。

自分のやりたいことを改めて考えた時に「東南アジア」「雇用創出」「ビジネス」「障害者」というキーワードが浮かんだので、それを検索したら、ボーダレスがたまたまヒットしたんです(笑)。

自分のやりたいことにすごく近かったので、そのままの勢いでエントリーしました。

―なぜボーダレス・ジャパンでやってみようと思ったんですか?

那須:この社会問題を、ビジネスで解決したいからです。

東南アジアを旅した時に、各国のろう活動やろう教育が支援によって成立しているところが多かったのが印象的でした。また、ラオスろう協会の役員の方から、支援ありきの活動だと、継続的な支援がないと活動が打ち切られることが多く、いつ打ち切られるかわからない不安と日々闘っていることを聞きました。

自分はこの問題に対して、継続性が課題となる支援ではなく、ビジネスでアプローチしたいと思ったんです。

―これからどんなことをしていきたいですか?

那須:鈴木副社長から私は「当事者としての視点」で物事を見ているという指摘を受けたので、これから自分のビジネスを立ち上げて本当に問題を解決していくために、第三者としての視点を身に着けるよう努力します。

「当事者としての視点」がその問題の解決にとってマイナスになるかもしれない、という指摘にはハッとさせられました。確かに、障害・ろう者であることに甘えている自分がまだいるので、その視点は一旦、しまっておきたいですね。

インターンシップなど様々な活動を通してこの問題の本質を追求しながら、大きな視点を持てるよう動きつつ、今の時点で考えているビジネスプランをさらに具体的にしていきます。

―ありがとうございました。来年4月、楽しみに待っています!

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