
10月17日は博多の街一帯がロウソクの幻想的な光で灯される「博多灯明ウォッチング」の日だ。
博多駅前・博多港ウォーターフロントといった現代的な場所に始まり、東長寺や櫛田神社といった博多の伝統名所まで18時~21時の3時間ロウソクで灯される。
この3時間のために、日本人から外国人まで実に多くの人が博多の街に繰り出していた。毎年2万人近く集まり、20年前から続く大きな催しだ。
↑博多駅前に現れた巨大ウルトラの母
今年の灯明ウォッチングは「あかりのわプロジェクト」と共に行われている。
東日本大震災復興への想いや支援を、メッセージキャンドルやペーパーランタンで繋げていくプロジェクトで、2011年3月11日~2012年3月11日を中心に活動していた福岡のプロジェクトだ。
人は祈るときに火を灯す。
日本だと仏前や灯篭流しなどの静寂なイメージが多い。協会や寺院の照明にも利用されている。
海外だと死者に祈る時に加えて、タイのロイクラトン祭りのようにお祭りの要素が加わることもある。
インドに住んでいた時も、ある夜轟音と共に突然ランタンが鬼のように飛ばされて、翌朝町中が燃えカスだらけになっていて茫然とした記憶がある。
どちらにせよ魂の浄化・精霊への祈り・鎮魂への祈り…など、火と祈りはなんだか切っても切り離せないような気がする。
仏前でロウソクに灯を灯して手を合わせる。
小さいころから当たり前のように行ってきたので、その行為自体にあまり疑問を持ったことはなかった。
しかし、1年ほど前に木村拓哉が主演のドラマ「安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜」でキムタク演じる物理学者沫嶋黎二(まつしまれいじ)が煙草の火を探す青年に「人は火を見ると心が落ち着く。煙草を吸う前に火を見つめてみたらどうだい?」と爽やかにZippoをパスしていたシーンを見て、妙に納得してしまった記憶がある。
なるほど物理学的に炎のゆらめきは、脳をアルファ波状態に整えリラックスさせてくれる効果があるらしい。
「祈り」は祈る側の、生きている人のためにあるのかもしれない。
学校生活や仕事を送る日常生活では、灯の前でゆっくり祈りをささげる時間は少ない気がする。日本は先日(9月26日)秋のお彼岸が明けてしまったところだ。
お盆・お彼岸。
お休み気分にかまけ、今までなんだかんだと理由をつけて、仏前や墓前で亡くなった人たちに祈る時間を逃しにいっている気がする。あるいは当然行うものとしてサラリとお焼香を上げている自分がいる気もする。
日本には、お盆に加えて春・秋と先祖を供養するお彼岸が2回ある。お彼岸にお墓参りをするという文化は、他の国と比べても日本だけの独特の風習らしい。
春のお彼岸は来年の3月17日。ちょうど東日本大震災から5年が過ぎていることになる。
誰のために・何のために灯りをともして祈るのか、そんなことを今までよりもう少しじっくり考えながら両手を合わせよう、と思わせてくれる10月17日だった。