BOOKマルシェ佐賀に行った。

理由は2つ。
1つ目は本が好きだから。
2つ目は宮台真司×辛酸なめ子の対談があったから。

宮台真司

宮台真司に出会ったのは今から5年ほど前。
友達が「この本を持っていると安心する」、と言って見せてくれたのが社会学者 宮台真司
「この世からきれいに消えたい。(朝日文庫)」だった。

この世からきれいに消えたい

その友達のことをもっと分かりたいと思ってその本を読んだのが、宮台真司の作品を読むようになったきっかけだった。

「この世からきれいに消えたい。」の主人公は主に2人。
宮台真司にシンクロし、22歳という若さで自死を選んだ
少年Sと、その親友 渡辺正幸。
同じ穴のむじなだった2人の生死を分けたのは

「世の中はそこそこ楽しい、でも無意味だ。」
「世の中は無意味だ、でもそこそこ楽しい。」

この言葉の並びの違いに現れる、社会の捉え方だった。
私も自分はなぜ生きているのか強い疑問を持っていたし、死にたいと思ったこともある。
そんな真っ直中で読んだから、なおのことSと渡辺の話には妙な親近感を覚えた。
その後も宮台真司の本を読み続けたのは、自分の中の得体の知れない感情を、社会学的に説明されることで安心したからかもしれない。

今思えば思春期や青年期特有の感情だった、と説明をつけることができるかもしれないが、直面しているときはそんな理由には何の意味もなかった。

20歳という若さで自殺した高野悦子の「二十歳の原点(新潮文庫)」や、ノンフィクション作家柳田邦男が息子の自殺について書いた「犠牲(文春文庫)」も若者の生への葛藤が窺える作品で学生の時に読んだ。きっと当時は自分が生きている理由が明確に欲しかったのだと思う。

宮台真司とは一体どういう人物なのだろう、という興味から足を運んだのがこのトークショーだった。

book

「BOOKマルシェ佐賀2015」のテーマ「編む」にちなんだ、本や映画についてのトークショーの中で宮台は、
小説より社会に敏感な映画の世界において、”スキャナー・ダークリー(06)”や"コングレス未来会議(15)"に見られるように、ドラッグやバーチャルな世界にはまる人間は、その世界がスペシャルだから抜け出せないのではなく、戻った現実社会がクソすぎて耐えられないから抜け出せないのだと言っていた。

コングレス未来会議

そして社会への考え方が”ウソ社会→“クソ社会"へ変遷したとも述べていた。世の中は全てクソだと。クソ壺から抜け出すことはできないと。
マクロでは社会は変えられない、ミクロで周りの人を大切にすることで、少しはこのクソな社会を生きていく理由ができる、というような意味合いのことを言っていた。

宮台は、著書の中でも似たようなことを言い続けている。
私たちに必要なのは「終わらない日常の中で、何が良きことなのか分からないまま、漠然とした良心を抱えて生きる知恵」らしい。

日本の自殺者数は世界トップで年間3万人弱。そのうち19歳までの自殺者数は約500人。
終わらない日常を繰り返し、
「なんのために生きてるんだろう?」
そういう素朴な疑問を突き詰める時間がたっぷりある学生時代は、Sのような選択をする可能性は誰しもにある気がする。

毎日そこそこ楽しい、でもなぜ生きているんだろう?
そんな疑問に悩んでいるならば、宮台真司や高野悦子や柳田邦男の本を読んでみると良いかもしれない。
死にたい、と言っている友達が周りにいて理解したいと思っているならば、これらの本を読んでみると良いかもしれない。

死にたい、と思う時は生きることについて強く考えている大切な時間だと思う。もう少し辛抱して、生きることを自分なりに意味づけられるようになるまで、言葉を遺していった人たちの力を借りてみてほしい。