こんにちは、はなみちこと原口瑛子です! 私は現在、西アフリカのブルキナファソ(以下、ブルキナ)という国で、一人ソーシャルビジネスに挑戦しています。

2017〜2022年まで、私はボーダレスのビジネスレザーファクトリー(株)の代表をしており、その時は「はなみちのビジレザ経営日記」というブログを書いていました。

2022年3月に事業を承継し、7月にブルキナに単身で移り住み、一人新しいソーシャスビジネスに挑戦中です。

現在、noteでも記事を書いているのですが、こちらにも掲載or転載していきます。

題して、「はなみちのアフリカ起業日記」(これまでと大して変わらない笑)。

今回は、私のプランニングを前編・後編と分けて振り返ってみます。

前編は、ブルキナでのヒアリングについて。タイトルで事件はネタバレですが、当時の私の心情や景色も合わせてお伝えできれば、と思います。

1. まずは、ソーシャルコンセプト

私がプランニングを始めたのは2022年春。当時ビジネスレザーファクトリーの代表だったので、事業を承継して、プラニングを始めました。

最初に行ったのは社会課題のヒアリング。この時点でビジネスのプランニングでイメージするプロダクトやサービスは決めていません。ゼロです。

まず誰のどんな課題か?原因や対策は?社会の理想の姿は?を言語化します。この現状に対する理想を「ソーシャルコンセプト」と呼んでいます。

ビジネスコンセプトをよりも先にソーシャルコンセプト。これが、ビジネスとソーシャルビジネスの大きな違いだと私は思います。

ちなみに、社会課題のヒアリングは必須ではなく、課題の解像度が高ければ、必要ないのかも。私の場合は必要な状態だったので行いました。

というのも私が前回ブルキナを訪れたのは2017年。主に貧困の観点でソーシャルコンセプトを描いていました。が…ブルキナに大きな変化が。

2019年以降のテロの多発。二次情報で認識していましたが、一次情報で理解してソーシャルコンセプトを描きたい、そう思い飛び立ちました。

2017年ブルキナのオーガニックコットン畑にて

2. が…軍事クーデターが起きた

30時間かけ無事ブルキナに到着。なのに、その夜に軍事クーデターが。軍事施設の銃声、大統領の拘束、憲法停止に国境封鎖。私、強運&凶運だ。

ここから少しプランニングの話から脱線します。まぁでもこの景色を共有する場もないのでもしよろしければ…。

当時の政権のテロ対策の不足に軍が蜂起したクーデター。外出禁止令が発令、私もホテル待機に。出鼻を挫かれましたが、気づきもありました。

その一つは、政治と経済について。クーデター直後に水と食糧を買いに行った時のこと。塀の外には、私にとって意外な景色が広がっていました。

それは、働く人も物乞いをする人もいつもの姿。まさに日常の風景。軍事クーデターが起きようが起きまいが、人は生きるために働く。以上。

良し悪しは別として、政治が不安定な時でも日々の営みとしての経済が自然に動いている事実。不思議とブルキナの経済に希望を持ちました。

数日後、国境封鎖が解除。慌ただしく帰国する人々を見送り、私はこんな時だからこそ、ここで現状を理解したいとヒアリングを始めました※。

※現地の大使館や現地で長く活動される方々の情報に基づき判断する行動を推奨します。私もそうしてます。命を守るためにも。

クーデターが起きてホテルで待機、檻の中のライオンの気分

3. 現状が見えるまで

ヒアリングの対象はテロから都市に逃げた人々。とは言え、彼ら彼女らがどこに住んでいるのか、手元に地図があるわけではありませんでした。

そこで私たちは、道行く人々に避難民の住んでいそうな場所を教えてもらい、対象者に会ってはヒアリング、を繰り返しました。

ヒアリング前には女性を対象にしようと考えていましたが、ヒアリングでは、年齢や性別、民族や言語など、あえて限定せずに広く声を聞きました。

彼ら彼女ら自身や家族のこと、過去と現在の生活のこと。どんな行動をしてきたか、どんな支援を受けたか。そして、どんな課題があるのか。

方法は、アンケートなどもありますが、ヒアリングをおすすめします。表情、視線、声色、沈黙。非言語でもわかることがあるからです。

私がヒアリングで大切にしているのは、同じ人間として対峙すること。相手に対するリスペクトを、常に忘れないでいたいと思います。

ヒアリングをした国内避難民の方々

ひとつ共通していたことは、彼ら彼女らに罪はない、ということでした。突然現れた危険に大切な人や物を奪われた。そして…人生が変わった。

女性や子ども達も多くいました。理由はそれぞれですが、男性がテロ活動に参加する・せざるを得ないケースや、女性が先に避難するケースも。

彼女たちには、経済的な不安定さがありました。土地や家畜を奪われ、農牧が続けれられない。言語の違いで、働くチャンスが少ないことも。

同時に、精神的な不安定さもありました。家族が離散し、安心して所属できるコミュニティがない。民族の違いで、地域から孤立することも。

精神的な不安定さには他の要因も。家族が暴力で殺されたり、自分が暴力を受けたり。そんな心身の傷は、言葉に表せずに、長期化していく。

そんな経済的な不安定さと精神的な不安定さの現状を理解した上で、その解決策としてのソーシャルビジネスが必要だ、と改めて思いました。

ヒアリングをした国内避難民の方々

 

と…ここまで読むと順調に進んだ風ですが、私の心の動きはそう単純ではありませんでした。

一つは、この社会課題が、常に人の生死に関わることであり、危険と隣り合わせであるから。

緊張感のあるヒアリングもあり、前夜は一睡もできず、ヒアリングが終わりホテルに戻った瞬間に高熱でぶっ倒れる…そんな日もありました。

もう一つは、この社会課題が、人の心に関わることであり、自分自身の心の弱さや強さをむき出しにするから。

ヒアリングの言葉を反芻し、社会課題に押し潰されそうな時は、自分の弱さを受け入れ、自分の強さを信じよう、と何度も自分を鼓舞しました。

軍事クーデターから始まったプランニングは、いい意味で、志に対する覚悟を、真正面から問うてくれました。で、決めました。

正直何ができるかはわからない。でも、何かやりたい。私じゃなくてもいいのかも。でも、私にできるのであればやりたい。よし、やろう。

小さなノートだけを握りしめて、足りなくて買い足して三冊に

4. 理想を描けるまで

「何かしたいけど何ができるかわからない」

ヒアリングの中で、彼女たちから何度もこの言葉を聞きました。その時、彼女たちに笑顔はありませんでした。でもそんなことはない、絶対に。

これまでの人生で、彼女たちには役割があり、幸せな生活があったはず。今はそれを何かに奪われただけ。必ずできることがある、私が信じる。

経済的・精神的な不安定さを解決するには、まずは「最低限の衣食住ができる安定収入と新たに帰属できるコミュニティ」が必要だと思いました。

必須・制約条件も言語化していきました。土地・資金がなくても言語・民族が違ってもできること。避難民の女性たちが文化的にもできること。

奪われた自尊心を取り戻し、彼女たちの絶望を希望に変える。そんなチャンスを一緒に創る、チャンスメーカーになろう。そう、考えています。

ブルキナで滞在は三週間の予定で、一週目はクーデターで全く動けず、そして二週目には「ソーシャルコンセプト」が見えてきました。

そして、三週目に。ここからビジネスコンセプトを考えていくことになります。その様子は、ぜひ後編の記事でお伝えしたい、と思います。

ヒアリングをした国内避難民の方々

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