こんにちは!
Yancle(ヤンクル)株式会社の代表の宮崎と申します。
Yancleでは若くして家族の介護(ケア)をしている、ヤングケアラーや若者ケアラーと呼ばれる人たちの就職・転職支援や、当事者同士のオンラインコミュティを運営しています。

ヤングケアラーや若者ケアラーと言われたところで、「なんのこっちゃ」って感じですよね。なので、まずはじめにヤングケアラーや若者ケアラーと呼ばれる人たちの定義や人数について簡単にお話した上で、僕が事業を始めた理由や、その社会課題に対して今思っていることなどを書いていきたいと思います。

ヤングケアラーの定義と課題

◎ヤングケアラー(子どもケアラー):21万100人
家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものことです。ケアが必要な人は、主に、障がいや病気のある親や高齢の祖父母ですが、きょうだいや他の親族の場合もあります。

◎若者ケアラー:33万人
18歳~おおむね30歳代までのケアラーを想定しています。ケアの内容は子どもケアラーと同様ですが、ケア責任がより重くなることもあります。若者ケアラーには、子どもケアラーがケアを継続している場合と、18歳を越えてからケアがはじまる場合とがあります。

◎子どもたち・若者たちが担っていること
・家事:料理や洗濯、掃除など
・一般的なケア:投薬管理、着替えや移動の介助など
・情緒面のサポート:見守り、声かけ、励ましなど
・身辺ケア:入浴やトイレの介助
・きょうだいの世話:世話、見守り
・その他:金銭の管理、通院の付添い、家計を支えるための労働、家族のための通訳など

※日本ケアラー連盟 ヤングケアラープロジェクトより:
https://youngcarerpj.jimdofree.com/
※以下、ヤングケアラーと若者ケアラーをまとめて、ヤングケアラーと表記します

当事者たちは相談できる人が周囲におらず孤立していたり、就職の際に苦労したり、介護離職してしまったり、介護の負担でなかなか結婚ができなかったり、家庭のお金の問題で悩んでいたり、様々な課題を抱えています。
こういった孤立や将来の不安などといった課題は、ヤングケアラーに限った問題ではなく、誰もが抱える悩みなのかもしれません。しかし、ケアラーにおいては、その悩みの要因が自分自身にあるのではなく、家族という外部環境にあるので、自分ではコントロールしづらいというところが一般的な悩みと異なる部分です。

起業するまでの介護の経験

かくいう僕自身も16歳ぐらいから難病の母の介護をしてきた元ヤングケアラーであり、現在も在宅でケアをしているので、定義上若者ケアラーになります。その原体験をもとに、過去の自分と似たような境遇にいるヤングケアラーたちを救いたいと思って起業しました。ここからは僕の過去の体験をちょっとだけ(詳細はこちら:soar-world.com/2020/07/15/seigomiyazaki/)語ります。

母の病気は多系統萎縮症という難病であり、不治の病です。僕が中学校3年生のころから、買い物や通院の付き添いなどといった母の日常生活のサポートがはじまります。そのころはまだ母の症状に診断がついておらず、僕自身も母のサポートをしていることに対してなんの疑念もありませんでした。母が困っているので助ける。それ以上でも以下でもなく、生活の一部として空気のように当たり前のものだと思っていました。
しかし、年数が経つにつれて母の症状は次第に悪化していき、僕が高校2年生ぐらいのときに母が難病だということが発覚します。母は自分が治らぬ病気だと知り、当然ながらひどく落ち込んでしまいました。僕が学校から帰ると、薄暗い部屋の中で呆然としている母の姿を覚えています。

それまでは空気のように思っていたケアが、否が応にも意識してしまう手触りのあるものに変わりました。母は布団に寝た状態から自分で起き上がるのが困難になったので、夜は僕が隣に寝て、トイレに行くのをサポートしたり、朝起こすのを手伝ったりするようになります。部活の朝練があったので、まあまあシンドイ。それでもそんな生活に不満があったわけではなく、いくら夜中に起こされようと、母のためだと思って頑張っていました。僕は当時体力がありましたし、授業中に寝ればいいやと思う不真面目なタイプだったので問題ありませんでしたが(笑)、他の誰かが同じような境遇になったとしたら、もしかしたら学校生活に支障が出てしまっていたのかもしれません。

母のケアをしながらも、部活を引退するまでやりきり、受験勉強をするようになります。予備校で帰りが遅くなると、母の様子が心配になりましたが、勉強は順調に進みました。そして大学に合格し「さあ楽しい大学生活を満喫するぜ〜!」と調子に乗っていた矢先、母の体調が急激に悪化し、救急車で運ばれて、ほぼ寝たきりの状態になってしまいました。
僕は母のケアをするために大学への進学を一旦あきらめました。「なぜそこまで?」とよく言われますが、僕自身もよくわかりません。愛情や悲しみ、不安、戸惑い、虚しさなど、色んな感情が相まってその決断をしたので、一言で表すのが難しいのです。もう1年ぐらい介護をしながら勉強すればいいやという楽観的な気持ちもありました。

母が退院して、実際に在宅介護が始まると、介護が忙しくて勉強どころではない。詳細は長くなってしまうので省略しますが、本当に介護漬けの生活です。介護をしながら気長に勉強するという楽観的な計画は1〜2ヶ月で崩れ落ちました。勉強するのをやめて、ひたすら母の側にいながら読書をする日々。周囲の友人たちは大学や専門学校に進学したり、アルバイトをしたり、サークルを楽しんだりしている中、僕は初めて自分の置かれた状況を憂いました。世の中から取り残されたような、とてつもない孤独を感じました。誰に話してもわかってもらえないだろうと思ってました。

翌年からは姉の助けもあって、介護をしながらも勉強ができる環境が整い、再び勉強をはじめました。そして、2年遅れで大学に進学します。ですが、進学したところでほとんど大学に通うことができず、入学して2年間はわずかな単位しか取ることができませんでした。サークルやゼミにも入らず、遊びに誘われたとしてもバイトで忙しいと嘘をついてほとんど断っていました。その状況が辛かったので、誰にも会わないように、大学は裏口から入り、隅っこで授業を受け、人のいないところでご飯を食べ、授業が終わるとすぐに帰るという侘しいキャンパスライフ。3年生から頑張って単位を取って、なんとか卒業が見込めるぐらいにはなりました。

就職活動では、大学生活で介護しかしていない僕は企業から相手にされないのはもちろん、キャリアセンターからも見捨てられる始末。本当に誰にも理解してもらえないんだなと感じました。幸い医療機器メーカーから内定をもらい就職したものの、3年で介護離職。ずっと「なんで自分だけ…」と思いながら過ごしていました。

その後、介護系のIT企業に転職し、その会社では副業や兼業をしている人が多かったので、僕も何か活動しようと思い、難病支援のNPO法人のドアを叩きました。挨拶の場で、なんで難病支援に興味を持ったのかを語っていると、ある人から「宮崎さんはヤングケアラーだったんだね」と言われます。そこで初めてヤングケアラーということを知りました。こんな境遇は自分だけだと思ってたけれど、調べてみると数十万人と存在していることがわかります。だったら僕がこの課題を解決したい、そう思ってソーシャルビジネスという言葉にたどり着き、ボーダレスアカデミーを通じて、ボーダレスジャパンで起業するに至りました。

ヤングケアラーの家族に対する愛を守りたい

今は事業を通じてたくさんのヤングケアラーと接していて、本当に色んな立場のケアラーがいるなと感じています。そんな中、ヤングケアラーという言葉の認知度も日に日に拡大し、最近はテレビや雑誌などのメディアに度々取り上げられ、行政も支援に向けて動きはじめています。その動きは素晴らしいなと思う一方、世間のヤングケアラーに対する理解と実態に乖離があると感じている今日この頃でして、この場でその感覚を言葉に表してみたいと思います。

ヤングケアラーのニュースに対するSNSの反応を見ていると、「政権が悪い」「親は何してるんだ」「やっぱり安楽死が必要」「病気や障害があったら子供を産まないほうがいい」などといった意見が散見されます。
色んな意見があって然るべきなのですが、僕はヤングケアラーの社会問題は誰のせいでもないと思ってるんです。なぜなら、虐待やネグレクトと違って、子どもの家族に対する健全な愛があると思うからです。親が子どもを愛していて、子どもが病気になったときに全力でケアをするのが自然であるのと同様に、子どもが親を愛していて、親が病気になったときに全力でケアをするというのも自然であると思うんですよね。ケアの根本には愛があるんです。もちろん子どもには権利があるので、それが侵害されるようなことがあってはならないというのは大前提として。

そう考えると、上記のSNSの反応はヤングケアラーたちを傷つけてしまう可能性があるということがわかります。たとえば、病気の子どもがいたとして、それは「子どもが悪い」なんて言ったら、「いやいや、何言ってんの」ってたいていの親は怒ると思いますが、それとほぼ同じです。
なので、ヤングケアラーのニュースを見た際、もしくはヤングケアラーに出会った際には、彼ら彼女らのケアの状況を一旦肯定してあげて欲しいなと僕は思ってます。家族のために頑張っていることを認めてあげたい。その上で、無理しないように支えてあげる必要があるのだと思います。

また、最初は愛する家族のために一生懸命ケアをしていても、その状態が長年続いて、たとえば介護が原因で思うように進学ができなかったり、就職できなかったり、恋愛できなかったりすると、そのピュアな愛がどんどん歪んでいって、恨みや憎しみに変わってしまう可能性があります。「家族のために」が「家族のせいで」に、「私がやる」が「なんで私が」に変わっていっちゃうんです。なので、ヤングケアラーの家族に対する愛を守るために、しっかりと制度を作ってサポートしていく必要がある、そのように考えています。

誰のせいでもないし、誰も悪くない、それにも関わらず生じてしまう家族のケアの負の側面をビジネスで解消したい、そんな想いでこれからも事業をやっていきます。

著書の紹介

最後になりますが、10月末日に『ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護』という本が発売されます。
(詳細はこちら
7人の元ヤングケアラーが自分の過去を素直に語った本でして、僕もその中の一人として第1章に書かせていただきました。この本のいいところは7人の立場がそれぞれ違うところです。家族構成も年齢も、過去の悩みも現状も全く異なるにも関わらず、どこか共通する想いがあったりして、そのあたりがヤングケアラーという存在の多様でありながらも似たような想いをもつという複雑な姿を的確に表しているように思うんです。ご興味がある方は是非読んでみていただけると嬉しいです!