
ケニアで暮らして丸4年、ケニアでアルファジリを立ち上げてから2年になります。
農村部のケニアの方々と働くと、大きく浮かび上がってくるのが「貧困」と「無知」のキーワードです。
「貧困」「無知」とは何でしょう。何が良くないのでしょう。何をすれば良いのでしょう。
わたしは、以下のように考えています。
「貧困」について
ケニアの農村部ではかなり良い暮らしをしている方の、ある女性の話を挙げます。私との付き合いが4年になる女性の話ですので、一番リアルだからです。
女性は定収入が月に12,000円。これは、村ではすごい良い収入です。子供を9人産みましたが、2人は小さい頃に病気で亡くなりました。
7人のうち2人は独立し、今は実の子供5人、亡くなった親戚の孤児3人、体の弱い夫1人を養います。無電化地域の、土壁の小さな家です。雨水や川の水を汲んで使い、薪を焚いて調理をします。
10人の食費が1日計600-700円かかりますが、野菜や雑穀をはじめ、時々肉、魚も食べているようです。しかしこれだけ食費がかさむと、2-3週間で給料は全て無くなります。
残りの10日をどう過ごすかというと・・・
羊やヤギなどの家畜を売って数百円。親戚から借りて数千円。野菜の売店やキオスクなどで後払いにしてもらう。何とかして残りの日々を乗り切ります。
結果的にどうやら負債が膨らんでいる様子・・・。これをどうしているのかはまだ知りません。多くの農村家庭では、全てにおいてこれよりもっと貧しい衣食住をしていると考えてください。
「無知」について
そして教育を十分に受けていない方々にとっては、私たちが簡単と思うこともハードルの高いこと。
例えば農業を教える時、種を植える間隔は10cmが良いですと教えても、10cmを知りません。10cmがどんなものか小枝をちぎって教えても、なぜか後日戻ってみると、種をばらまいて植えてしまっているのです。10cm間隔で植えたことがないので、そんなことは難しくてできないのだと言います。
10cm間隔で植える意味―多収に繋がるのだということ、つまりそれは自分の売上となり、食糧となり、子供の学費となるのだということ―を何度も説かなくてはなりません。
そして一緒にやってみなければ、自分で行動を起こすことはありません。
身近な人が一緒にやってあげると、あの人もやってるし、意外とできるかな、ひとりでもやってみようかなとなるのです。
無知の壁とは、知らないことではなく、「できないという思い込み」「未来を想像する力の弱さ」だと感じます。
貧困と無知を超える「愛情と信頼」
しかしこのような困難がありながら、「なんとかやっている」というのが中々すごいと思いませんか。
生まれた子供のうち何人か死ぬことは自然の摂理だと受け止め、両親が若くして無くなれば、誰かが孤児を引き取り育てる。
後払いを許してくれる馴染みの店があり、友人や遠い親戚に少し有り金があれば、お金を貸してくれる。ちょっと近所の家に寄れば、お腹は空いていないかい、と料理を差し出してくれる。家計がマイナスでも、女性は洋服を交換しあっておしゃれを楽しみます。日曜になれば、教会で賛美し絆を深め、20円や50円の寄付金を捻出し、教会の活動に使います。
貧困や無知を超えて、誰しもがもつ愛情や信頼が、人びとを支えています。
(愛情や信頼が、家庭と地域を支えている)
貧困や無知が人を苦しめるとき
栄養の偏りや睡眠を妨害するほどの居住環境の劣悪さは、精神に異常をもたらします。しかし村人が何とかやっているのなら、貧困と無知に、どんな問題があるのでしょう。
一つは、「何とかやっている」構造が簡単に崩れやすいということでしょう。
みんなで分けられるほどの食糧が村からなくなったら。疫病が流行って、対処の仕方を誰も知らなかったら。誰かが、例えば政治指導者がお金をバラマキながら洗脳してきたら。詐欺師が、巧みに騙して搾取してきたら。
簡単に争いや妬みが発生する。これは実際に起きていることです。
もう一つは、「経済格差」の中での貧困は、孤独や自尊心の欠如を生み出すということです。
なぜ大都会のスラムでは、あれほど犯罪が横行するのでしょうか。
私は、これが「みんなで貧しい」状態ではないから起こるのだと考えています。田舎の若者たちは希望を抱いて大都会へ飛び出しますが、定職になどほとんどありつけません。仕事で稼いだお金のすべては、高い物価での生活費で消えていきます。助け合いの人間関係も希薄で、ご飯を食べていきなさいと声をかけてくれる人も少ない。人間も多様で、簡単に悪い人間に騙される。
このような環境で、貧困者は、孤独に追いやられ、自尊心を失い、優しさを失っていくのではないでしょうか。
アルファジリが取り組んでいること
それは、村の「なんとかやっている」構造をもっと安心に、強くすることです。
農業の正しい知識を教えて収入をより安定的に、向上させる。チームづくりとリーダーシップを養成して、助け合いの構造を強化する。
貧困と無知に負けない強い農村組織をつくり、次の世代には、安定的なくらしと基礎学力に支えられた豊かな組織になってほしい。
そして若い人が、リーダーとなり、村を引っ張っていくことです。
みんなでみんな、都市部へ出て行って何をするのでしょう?日雇いで何とか暮らしても、未来のある仕事をしていますか?
有益な仕事は、まだまだ村に作れます。
アルファジリは、村でチームビルディングと農業指導を行う「フィールドオフィサー」を採用しています。特に最近は、20代の若者を、フィールドオフィサーとして抜擢しはじめました。彼らには、明るい未来を農村で、作っていってほしい。
途上国の農村には、可能性がたくさんあふれています。日本の皆さんも、現場に来て、その可能性と課題を学びに来てください。
(若い人たちが、もっと農村で生き生きと働くべきである)
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