
こんにちは!事業立ち上げ準備中の石川です!今回は、ビジネスモデルを考える過程で学んだことを紹介します。
原点はどこにある?
ビジネスモデルをゼロから考え始めた時、一人で大海原を漂っているような感覚でした。そこでまず行ったのは「インプット+原点回帰」でした。
そもそもメディア事業を考えたのは、大学時代に東日本大震災の復興支援をしていたことがきっかけ。
活動を通して様々な人と出会う中で、自分自身が「情報」の持つ力に影響を受け、「こんなに人に与える力が大きいものは他にない!しかも情報ならば国境を越えて届けることが出来る」と希望を感じました。
一つの情報で誰かの命が救えるかもしれない、そんな情報を発信することで社会の役に立ちたいと思いました。
心が動く方向へ
しかし、メディア事業のプランはいつまでたっても漠然としたまま。私の中で常に「途上国・先進国」の二つが天秤に乗っていたからです。
理由は、ソーシャルビジネスに対する原点が二つあったこと。
一つ目は幼少期にインドで暮らしていた時に感じた不平等感への戸惑い。
二つ目は阪神淡路大震災で被災した祖父母を見ていた時と、東日本大震災を見ていた時に感じた無力感。
途上国・先進国、どちらにもアプローチできる手段としてメディアを選んだけれど、良いビジネスモデルを見つけられないという現実は受け入れなければいけない。
プランを考える上で「絞る」必要性を感じた時、「自分の心を最も強く動かすのは何か」と考えて辿り着いたのは「先進国・日本」でした。
できることが限られているならば、今日隣にいた人の未来を守ることに力を注ぎたい、それが答えでした。
トライ&エラーエラーエラーの先に
その後は、ボスにアドバイスをもらいながら様々なビジネスモデルを考える日が続きました。
そしてまずたどり着いたのは「再生可能エネルギー事業(バイオガス発電)」でした。
天災は防ぐことが難しいけれど、人災は防ぐことができる。
東日本大震災で生じた様々な課題を目にし、自然災害がいつ再び起こるか分からない日本で、起こり得るリスクを回避する一つの手段だと考えたからです。
世界は広い?いや、日本は広い!
エネルギーという未知の分野について考える過程で、社外の人に沢山会いました。
突然バイオマス発電がしたい!と現れた無知な私に対して、誠実に対応してくれる人の温かさ、そこで働いて生きる人、それぞれの持つ企業理念。
様々な企業が、社会をより良くするために進む姿に背中を押される気持ちがしました。また、それまで自分が如何にセーフティーゾーンに甘んじていたかを痛感しました。
世の中知らないことだらけ!
「ビジネス」という観点で外の世界に一歩踏み出すことで、こんなに様々な考えを学ぶことができるならば、もっと色々な人や事に触れて、アイデアの幅を広げることが必要だと強く感じました。
否定をするのは自分だけ
方向性を絞れてからがソーシャルビジネスの第一歩!
利益を生み出すモデルがあって初めて、社会課題の解決に繋げることができます。
そのSomething Newのモデルを生み出すことの難しさに直面し、前に進んでいるのだか進んでいないのだか、、という日々が続きました。
自分の弱さや足りない部分が露呈し、だんだん自信や気持ちが弱まると、ムクムクもたげてくるのが
「やっぱり違うのかも。」
「向いていないのかも。」
「自分にはできないかも。」
という「かもかも」自己否定軍団。
そんな時、何よりも支えになったのは
否定されない事
でした。ボスが一度も否定をしないこと、周りの仲間が誰も否定をしないこと。
隣には同じように事業立ち上げに奮闘する仲間がいて、全員が一緒にアイデアを探してくれる。
否定をしたり、諦めそうになるのはいつも自分だけ。
もし「一人で起業する」という選択をしていたら、そのハードルを自分の弱さでは乗り越えられなかったかもしれない。
ボーダレス・ジャパンが作り出す社会起業家のプラットフォームのパワーを、改めて感じた瞬間でした。
目先の自分の感情ではなく、これから始める「日本の未来に役立つビジネス」の持つ可能性に集中して、やれるところまでやろう!と気持ち新たに、ビジネスモデルを追い求める日々は続きます。
次回「中庸はどこにある?」へつづく。。。
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