こんにちは、アルファジリ薬師川です。

アルファジリは、ボーダレスグループに入ってから、個人の資本や借入れで事業を行なっていたときと比べて、周りから「ちゃんとした会社」と見てもらえることが増えたように思います。

一方で、アルファジリは「ボーダレスの会社なのか」と聞かれることもあるようになりました。その度私は心が痛いし、悲しい気持ちでいっぱいになります。なぜなら、アルファジリは私が創業者であり、現CEOだからです。

創業したばかりの頃の筆者

 

創業者にとって会社とは?

そもそも、創業者にとって、自分が創業者でありオーナーだという思いは格別です。それはエゴイズムではなく、自分が産んだ子どもに対する思いや、自分が生み出した作品に対する思いと何も変わらないと思います。

そんなことないという創業者もいるかもしれません。しかし、私は違います。

琴里(私の6ヶ月の娘)の母親を別の女性と間違われたら、憤慨するでしょうし、私が描いた絵を、他の作者のものだと間違われたら、激怒するでしょう。一枚一枚の絵を描くときだって、私が生み出す、この世でたった1枚の作品だという意識でキャンバスと向き合ってきました。誰かの手に受け渡すときだって、「私の子だから、一生大切にしてください」と思いを込めて送り出してきました。私は、全く同じ思いでアルファジリと向き合っているのです。

ただ、会社は社会の未来のために存在しているのであり、自己の存在意義の追求ではないということは、絵を描くこととの違いです。会社は組織であり、絵画のように孤独の作業によっては作り上げられません。社会から評価され、意義を共有されて初めて続くものであって、ただの自己満であれば、事業は潰れ、自分の子どもを殺すことになります。

自己満であってはならないという意味で、私はボーダレスグループに入りました。例え私が生みの親であっても、アルファジリが目指す理想の社会は現実からは程遠く、自己満でアルファジリをやっていたら、アルファジリは潰れると思いました。そして、自分の力だけ、自分の事業だけではなく、様々な力が結集して初めて、社会の未来は拓けるはずだと考えました。

会社を成長させたい、社会の役に立ちたい、グループを成長させたい、といった私の強い意欲はすべて、アルファジリの親としての思いが源泉です。創業者であろうと母親であろうとアーティストであろうと、「私が生みの親」という思いを、誰一人否定することはできません。むしろ私はその思いが自身の創造物への責任感をもたらし、その創造物を自立させ、成長させ、巣立たせるのだと思っています。

だからこそ、アルファジリに自分の会社を興したいと言うメンバーが出てくれば喜んで送り出しますし、私がアルファジリで役に立たなくなる日がくれば、潔く消え去るでしょう。

 

会社は「誰がやるのか」が非常に重要

ところで、ボーダレス・ジャパン創業者の田口一成氏の、「事業は誰がやるかじゃない、何をやるかが大事なんだ」という言葉がありますが(少し古い言葉かもしれませんが)、この言葉は「何をやるか=どんな社会をつくるか」という事業の存在意義を強調しているのであって、誰が社長であってもいいという意味ではないはずです。また、これは社長を引き継いだ場合でも、誰かの事業アイディアをコピーしたとしても、同じことです。なぜなら、どんなに誰かの会社を継承しても、どんなに誰かの事業を模倣しても、特定の個人がオーナーシップを持つ以上、「全く同じ事業」「全く同じ組織」になることはありえないからです。

私の愛書であるAustin Kleon著"Steal Like an Artist" にはこんな話があります。

”どの動きをとっても新しいものはない”

自身の尊敬する選手から全ての動きをコピーし練習したというNBAを代表するスーパースター、コービー・ブライアント元選手が、体型の違いから、ただ模倣するだけでは彼らの動きに達することができず、その全ての動きを独自のものとして適応させなくてはならなかったというものです。

同じように、誰かが新たに社長となれば、その事業がこれまでこの世に存在するものであっても、必ずその社長がオーナーシップを持つということが、その組織、事業を唯一のものとするのです。

つまり事業会社というものは、ある意味「何をやるのか」と同じくらい「誰がやるのか」が非常に重要だと、私は思っています。社長はその会社を自分の子どものように育み、事業に心血を注ぎ、あくまで社会のために、事業を成長させていくべきです。

その中でも、「生みの親」である創業者ほど、会社に唯一無二の愛と情熱を注ぐ者はいないでしょう。

この文章を書いていて、改めて自分が創業者なのだと感じました。不完全で、未熟な経営者であったとしても、私が幸福だと思う社会の形は私が描いたものであり、私は今、それをアルファジリという組織をとおして創造しようとしているのです。

 

私がアルファジリに必要なくなる"とき"は?

最後に、私がアルファジリに必要なくなる時は、いつか?と考えたとき、4つの”とき”が思い浮かびました。

・アルファジリが成熟して、私がアルファジリという会社体を超えて、新たに新しい枠組みを創造すべき日が来たとき
・私の創ろうとしている社会が、なんらかの形で受け入れられない日が来た時、人々にとってベストでないと気づいたとき
・私でなく別の誰かの方が、私の創ろうとしている社会を実現するためによりふさわしいと気づいたとき
・私が病気になったり年老いて、同じ情熱でこの仕事を続けられなくなったとき

そんな日を今、具体的には想像できませんが、私は、是非とも良い意味で私が必要なくなる日まで、アルファジリの現役社長として、心血を注いでいきたいと思います。

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