皆さんこんにちは!

19卒でボーダレスに加わった辻田寛明(つじたひろあき)と言います。この記事を目に入れていただきありがとうございます!

ぼくがどうしてボーダレスに入ろうと思ったのか、そしてボーダレスで何を成し遂げたいのか、ということについて話していこうと思います。

少し長いですが最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです!

 

 

<いつから社会課題を意識するように?>

ぼくは最初から社会課題を解決するんだ!という気持ちをもって大学に入ったわけではありませんでした。

何なら大学3年のときはITベンチャーにインターンをしながら自分のスキルを増やしていこうとしていたくらいです。もちろんITベンチャーで働くのも楽しかったしそこに就職していくのもありだなあなんて最初の頃も思っていました。

 

しかしやがてやっていることに疑問を持ち始めます。

「自分がやっていることでは自分もスキルアップできるし、たしかに顧客相手の企業のパフォーマンスもあがって日本の経済も活性化されていくだろう。だけどそれで本当にいいのか?」

 

こうした心のわだかまりは徐々に大きくなっていき、やがて自分の本当の気持ちに気づくのでした。

「自分はそういう大きな経済の流れから零れ落ちてしまうような、貧困などの不遇な状況下にいる人に対して何かしたいのではないだろうか」

 

別に過去に自分がそういう大変な体験をしたわけでもなかったし、そういう現場に直面したわけでもありません。

ただ、昔から誰かのために何かをすることは好きでした。特に集団のなかの中心の人でなく、そこからはみだしてしまいそうな人に対して。それは何で?と聞かれたら、気づいたらそんなかんじだったとしか答えられないです(笑)

 

そうした気持ちのわだかまりはだんだん大きくなり、そのままにしておくのも嫌だったし、けどだからといって「じゃあこれをするんだ!」ということが思いつくほどの知識も経験もありませんでした。

 

そこでぼくは貰っていた内定を断り、大学院に行って<貧困>について勉強をまずしてみようと思ったのでした。

社会の大きな経済からこぼれ落ちるという=貧困問題というあまりにも安直な考えからでした。ですが思えばここが社会課題というものを意識した第一歩だったのかもしれません。

 

 

人生のターニングポイントとなる一言>

(インドネシア大学での1枚)

 

貧困と言ったら開発途上国だろう、というこれまた安直な考えと、これまで訪れたことのあったカンボジアやフィリピンの悲惨な状況を思い出して、大学院に入るとぼくは東南アジアの貧困問題を研究するようになりました。実際にインドネシアの大学にも行って勉強したりもしました。

 

そのなかで人生のターニングポイントとなったのが、フィリピンやインドネシアのスラム街を何度かこの足で訪れ、そこに住む人々と交流したことでした。

 

こう言うと、「そこで開発途上国の悲惨なスラムのために活動しようと思ったのか!」と思うかもしれません。

 

ところが全く逆でした。

 

ぼくはスラム街の人たちと触れ合ってそこの人たちの心の温かさに感動したのです。

汚い川の水で洗濯したり、半ば腐ってそうな果物も食べてたり、たしかに経済水準としては衝撃を受けるひどさでした。

(フィリピンのスラムでの1枚)

 

しかし、そこに住む人々は思いやりにあふれてとても温かく、ぼくのことをもてなそうとしてくれるし、何よりもあるお母さんとのやり取りが本当に衝撃だったのです。

 

「お母さんはここから引っ越したい?」

「そりゃそうよ、こんなところに住みたい人なんて変わってるわ」

「じゃあお母さんは幸せを感じてない?」

「いいえ、私は幸せよ?だって夫と子どもと毎日一緒に暮らせるんだから。」

 

そうか、幸せってそういうことなのかな。

ぼくの周りを駆け回るその子どもたちは確かに楽しそうだった、何もないのに楽しそうだったのです。笑顔がとても素敵でした。よく耳にすることではあるけれど、ぼくはそのとき身をもって痛感しました。

 

それと同時にこうも思いました。

「日本ってこういえる家庭少なくないか?」

「日本の貧困家庭も問題になっているけど、あのスラムの家族のように家族ともなかなか一緒にいることもできず幸せを感じていることはできてないんじゃないか?」

 

ぼくは大学学部生の頃から東京に加え、地方の中高生と触れ合い大学の魅力や自分の可能性を信じる大切さを伝える活動に携わっていました。そこで出会った家庭環境に満足いっていなかった子たちは、あのスラムの子たちのように笑えていませんでした。

 

日本でも不遇な環境に置かれた子どもはたくさんいるし、事態としては途上国よりも深刻だ。

子どもたちが自分の生まれた環境に関係なく、自分に希望を持てる社会を目指そう。

 

日本に帰国してあれこれ考えをめぐらせて行き着いたところがこれでした。

これがぼくの原点であり、この問題に取り組まなくては、と思ったきっかけでした。これこそがぼくがボーダレスで実現させたい志になります。

 

 

どうしてボーダレスに?>

ぼくが何をしたいか、それに至る経緯には何があったかということはお分かりいただけたでしょうか?大学院までいってとても遠回りな道のりだったなあと今でも思います(笑)

 

さて、ではなぜぼくはボーダレスに加わろうと決めたのか。

 

それはボーダレスジャパンが目指す社会にとても共感でき、ボーダレスが自分のやりたいことを一番実現できると思ったからです。

 

まだ日本では子どもたちが自分の生まれた環境のせいで自分に自信や希望が持てなくなっている現状に対して、まだ明確なソリューションは生み出されていないように思います。もちろん行政や色んな企業、NPOなどの団体がこの問題に取り組んでいるのは知っているけど、まだまだ足りないように思います。

 

ならば自分でやればいい。つくればいい。

そんなとき、このボーダレスの起業家採用は最も自分のやりたいことを現実化できる方法なのではないかと思い、応募するに至りました。

 

正直言えばぼくは起業の経験なんて全くなければ、ビジネスの経験もほとんどありません。そんなところに飛び込んで無謀じゃないか、と僕に言う人もいました(笑)

それでも、自分の思うこの社会課題はなんとしても解決したいし、その思いがあればあとは行動してみなきゃわからないでしょ、やってみなきゃ始まらない!という気持ちがまさっています。

 

現段階は子どもたちが家庭と学校以外の居場所として機能し、地域の住民が参加できるコミュニティをつくれないかと模索しているところです。

 

そのような志はボーダレスジャパンだからこそ実現できると思っているので、ちゃんと実現できるように尽力していきたいです!

 

最後までお読みいただきありがとうございました!!